樹生於平地者、易
大而栄茂。生於石
間者、難大而憔悴。
此豈非命哉。自古
士之有類此者。其
人如君子、則雖知
命以不慍、而傍観者
不可不為之一悲
一憤也。故孔子曰。
「臧文仲其竊位者歟。
知柳下恵之賢、而
不与立也」。
|
○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○
平地に生えて居る樹は大きくなり易くて、思ふまゝに栄え
○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ にく ○ ○ ○ ○ ○
茂る。石の間に生えて居る樹は、大きくなり難いから、至ッ
○ ○ ○ ○ ○ やつ○おとろ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○
て窮屈げに憔れ悴へて見える。平地に生えるも、石の間に生
○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○
えるも共に是れ其の運命である。天の与へたところ如何とも
○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○
し難い。人にも、古から此に類するの人士がある。其の人、
若し君子であるなら、仮令、大きく伸びられぬ境遇に呻吟す
いきどほ
ることがあッても、命を知るが故に自ら慍る如きことはせぬ
けれども、而も傍観して居るものは、之が為に一悲一憤して、
以て其の不遇の境遇に同情せんければならぬ。此の故に孔子
(一)
は言はれた。『臧文仲は其れ位を竊むものか、柳下恵の賢を
知ッて而も与に立たなんだを見れば』と。
(一)臧文仲は魯の太夫。曾て、居蔡、山節、藻税など、
宗廟の装飾を敢てしたことのある人。柳下恵は魯の
人、頗る賢才であッたが用ひられなんだ。謂ふ心は、
苟も公職にあるものは私情を去りて、賢才あらば直
ちに之をあげ、野に遺賢なからしむべきである。然
るに、文中は柳下恵の賢を知りながら之を挙用せな
んだ、是れ位に従ッて其の任を全うせざるもの、即
ち国を竊むものであると言ッたのである。中斎が此
の言をこゝに引いたのは、孔子の言ふ所は、文中の
○ ○ ○ ○ ○ ○ ○
位を竊むを責むると共に、柳下恵の賢才を抱きなが
○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○
ら伸びざるに同情したる言であるといふ点に於てゞ
○ ○
ある。
|
『洗心洞箚記』
(本文)その216
|