Я[大塩の乱 資料館]Я
2015.1.12

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『通俗洗心洞箚記』
その12

大塩中斎著 下中芳岳(1878-1961)訳

内外出版協会 1913

◇禁転載◇

上巻 (8) 八 至人の夢

管理人註

熟睡夢中、雑乱 穢濁、乃覚時作 止語黙、自欺 独知之影焉耳。 而到於誠不 独知之境則至 人。故曰。至人 無夢。非夢、 無夫雑乱穢濁 之夢也。如 伝説周公、 則非至人亦無 此矣。

             めさ  雑乱穢濁の夢を見るのは、覚めて居る時の言語、動作に於 て我と我が心を欺いて居るからである。されば、修養を積ん          わだかまり で、常に心中何等の蟠なく、麗朗透徹全く我と我が心を欺か ざるに至らば、それは、人として立派な人、徳の備ッた人、   (一) 即ち至人と言ふべきであッて、決して雑乱穢濁の夢を見るや うなことは無い。故に「至人夢なし」と言ッてある。全く夢 を見ぬのでは無い。つまり、野卑な穢れた恐ろしい夢などを                      (二) 見ぬとの意味である。聖人君子の伝説を夢み、周公を夢みる 如きは、至人でなくては殆ど全く無いことである。

    心理学的にいッても、有徳の君子になれば、つまらない 夢は見ぬ道理である。古人が、夢によッて己が心中の清 濁を験したのは頗る故あることである。 (一)至人は至れる人で、聖人と同意義に用ふる。 (二)論語に、孔子の言として「吾夢に周公を見ざるこ   と久し」とある。



『洗心洞箚記』
(本文)その9
 


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