Я[大塩の乱 資料館]Я
2015.6.10

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『通俗洗心洞箚記』
その122

大塩中斎著 下中芳岳(1878-1961)訳

内外出版協会 1913

◇禁転載◇

下巻 (36)三八 忠恕

管理人註

大学悪於上 曰。上下前後左右、 姑就一身之、則 首者上、足者下、腹 者前、背者後、左手 者左、右手者右、心 為中央矣。而心便 是首足腹背手臂之為 主也。故傷首則心誠 悪之、然未嘗欲 之于足。傷足則心誠 悪之、然未嘗欲 之于首。傷腹則心誠 悪之、而未嘗欲 之于背。傷背則心誠 悪之而未嘗欲之 于腹。傷左手則心 誠悪之、而未嘗欲之于右手。傷右 手則心誠悪之、而 未嘗欲之于左 手、是即吾心之仁也。 聖人以天地万物 一体。其視人物、 猶如吾首足腹背手臂。 故人物之病痛即我病 痛也。是以吾心之所 悪者、不肯一毫施乎 人。是之謂天地 万物一体也。後 之学者、亦只学 吾一体之仁而已矣。 如其工夫、致良知 之外、更無学可講也。 陽明子曰。「悪於上 知、毋使於下知 也」。豈不信然乎。

     (一)              わし  大学の「上に悪む所は云々」の章を読んで予は斯う思ッた。  上下、前後左右、姑く一身に就いて之を言へば、首は上、 足は下、腹は前、背は後、左手は左、右手は右、心は中央で ある。而も心は便ち是等首足、腹背、手臂の主である。故に 首を傷くれば心誠に之を悪む。而も決して、其悪む所を足に 移さうとは思はぬ。足を傷くれば、心誠に之を悪む。而も決 して其悪む所を首に移さうとは思はぬ。腹を傷くれば心誠に 之を悪む。而も決して其の悪む所を背に移さうとは思はぬ。 背を傷くれば、心誠に之を悪む。而も決して其の悪む所を腹 に移さうとは思はぬ。左の手を傷くれば心誠に之を悪む。而 も決して其の悪む所を右の手に移さうとは思はぬ。右の手を 傷くれば、心誠に之を悪む。而も決して其悪む所を左の手に 移さうとは思はぬ。是れ実に我が心の仁である。聖人は天地 万物と一体である。其の天下の人物を見る、猶ほ吾が首足腹                 ○ ○ ○ ○ ○ やまひ ○ やが ○ ○ ○  背手臂を見るが如きものがある。故に人物の病痛は即て我が ○ ○ ○ ○ ○   ○ ○ ○ ○ ○   ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○   ○ ○ ○ 病痛である。さればこそ、我が心の悪む所のものは、一毫の ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○   ○ ○ ○   ○ ○ ○ ○ ○ ○ 微と雖も決して之を他人に施さない。是れ之、天地万物を以 ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ て一体であるというのである。後の学者の学ぶ所、また唯、 吾が一体の仁に復らんとするにある。而して吾が一体の仁に 復るの工夫は、たゞ\/良知を致す外、更に学の講ずべきも                       のあるを見ぬ。「上に悪むを知るは、下に使ふ毋きの知を致                   まこと すものである」と陽明先生は言はれた。信に其の通りである。

                        (一)大学に斯うある。『上に悪む所は以て下を使ふな   かれ。下に悪む所は以て上に事ふるなかれ。前に悪   む所は以て後に先んずるなかれ。後に悪む所は以て   前に従ふなかれ。右に悪む所は、以て左に交ふるな   かれ、左に悪む所は以て右に交ふるなかれ、此をこ   れ給驍フ道といふ』と。汲ヘ「執る」である。規は   規矩標準である。即ち自己の矩を取りて他の心を度   るに其の尺度を誤らぬが給驍フ道である。換言すれ   ば、善く其の有する所を持して以て人に臨むに恕を   以てすることである。

『洗心洞箚記』
(本文)その226


































































(けっく)
 


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