Я[大塩の乱 資料館]Я
2015.6.12

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『通俗洗心洞箚記』
その124

大塩中斎著 下中芳岳(1878-1961)訳

内外出版協会 1913

◇禁転載◇

下巻 (38)四〇 艱難に遇ひ生死の境に出入して始めて真切に道を知り得たり
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         ―此の後半、即ち有名なる琵琶湖遭難の記なり―(1)

管理人註

伊川先生州之行、 乃其厄也。其渡 江、中流船幾覆、 舟中人皆号哭。先 生独正襟安坐如 常。已而及岸。同 舟有老父。問曰。 「当危時、君独 無怖色、何也。」 曰、「心存誠敬耳。」 老父曰。「心存誠 敬、固善、然不若 無心。」、先生欲之言。老父径去 不顧。此事儒林文 苑中旧説話、而在 人口耳既已腐爛矣、 似語焉者。 然人遭其境、則孰 無心寒股粟不 其度哉。故雖口耳既已腐爛、 又当故而知新、 是乃可善学也。

 (一)  伊川先生が州に旅行せられた時、途中に於て災厄に遇は                      くつかへ れた。その江を渡る時、中流に於て幾度か船が転覆へらうと した。舟中の人、皆驚き、色を失ッて号哭した。けれども、 先生のみは、少しも驚かれず、襟を正して安坐せらるゝ常の 如くであッた。漸くにして舟は岸に達した。同舟の一老父、 先生に向ッて問を発した。  『舟将に覆らんとするの危時に当ッて、君独り怖るゝ色も なく、泰然として居られた。如何にすれば、死境に臨んで左 様に落付いて居ることが出来申すか』と。で先生は、  『此の心に誠敬の存するのみ、別にそれ以上の方法がある                           につ 訳ではござらぬ』と簡単に答へられた。すると其の老人、莞 こり              まこと 爾笑ッて『此の心に誠敬の存する固に善し、さりながら此の 心に何も存せざるに越したことは御坐るまい。』と言ッた。  「はて、偉さうなことを言ふ老人であるワイ、今少し話し                     こみち て見たいが。」と先生は思はれたが、老父は径に急ぎ去ッて 最早其の辺には居なかッた。―――と。    はなし  此の説話は、儒林文苑中に載ッて居る頗る旧い説話で、人                        たこ の耳にある既に久しく、口が酸くなるほど話し、耳が瘤にな るほど聞いた談話で珍しくも無い。けれども、実際に其の境 遇に臨めば、誰だッて、心寒股慄、其の度を失はずに居られ まい。故に、口耳にあッて既に已に腐爛せるほどの旧い説話 をも、採ッて以て故きを温ね新しきを知るの料と為すならば 是れ乃善く学ぶものと謂ふべきであらう。


『洗心洞箚記』
(本文)その251

(一)の説明なし


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