予於 是賦 詩。詩曰。
院畔古藤花尽時、泛
湖来拝昔賢碑、余風
有 似 比良雪 、流滅
無 人致 此知 」。帰時
於 大溝港口 復買 舟。
予与 所 従之門生及家
僮 四人耳。更無 同舟
人 。再泛 湖、南向 坂
本 、将 還 吾郷 。而
自 大溝 至 坂本 、水程
凡可 八里 。此即我邦
里数、而非 異朝之里
数 也。当 異朝之里数 、
則六十八九里矣。解 纜
結 、既未申際。而日
晴浪静、柔風只颯颯而
已。至 小松近傍 、北
風勃起、囲 湖四山各
飛 声。而狂乱瀾逆浪、
或如 百千怒馬衝 陣、
或如 数仞雪山崩 前。
他舟船皆既逃而無 一
有 。其張 帆至低三尺
強。而乗 其怒馬 、踏
其雪山 、以直前勇往、
如 箭馳 者、只是吾一
舟而已矣。忽到 鰐津 。
嘗聞鰐津雖 平日無 風
時 、回淵藍染、而盤渦
谷転、巨口大鱗之所 游
泳出没 、乃湖中至険也。
而況風波震激時 乎。推
篷見 水面 、則為 所 謂
地裂天開之勢 。奇哉、
颶風忽南北両面吹而軋。
故帆腹表裏饑飽不 定。
是以舟進而又退、退而
又進。右傾則左昂、左
傾則右昂。如 踊如 舞。
飛沫峻濺、入 篷侵 牀
実至危之秋也。舟子呼
曰。「他舟皆知 幾、故
避 之、如某独誤不 能
前知 焉、而乃至 此、
吁、命也哉、雖 然無
面目対 客耳。」吾察
其言意 、似 不免 共
葬 魚腹 之患 。因却
慰 喩舟子 曰。「爾誤
至 此命也、則吾輩至
此亦命矣。倶無 如 之
何 。只任 天而已、何
足 患哉。」
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予はこゝで斯ういふ詩を賦した。
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院畔の古藤花尽くるの時。
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湖に泛び来りて拝す昔賢の碑。
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余風似たるあり比良の雪。
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流滅して人此の知を致すなし。
やと わし
帰る時、大溝の港口で復た舟を買ッた。予と予に従ふ門生
及び家僮と合せて四人、外に一人も同舟の人は無かッた。斯
くて再び湖に泛んで、南坂本に向ひ、将に吾郷に還らうとし
た。大溝より坂本まで水程凡そ八里許りある。是れ我が国の
実際の里数である。異朝の里数ではない。異朝の里数なれば
ともづな
六十八九里になるであらう。纜を解き、 を結んだのが、未
ころ
申(今の午後三時)の際。日晴れて浪静かに唯柔風の颯々た
るのみ。然るに、小松近傍に来ると、北風急に勃起し、湖を
囲んで四山各々声を飛ばし、狂瀾逆浪、或は千百の怒馬の陣
を衝くが如く、或は数仭の雪山前に崩るゝ如く、他の舟船皆
ひくく/\ ばかり
既に逃れて一つも影を見せぬ。至低三尺強に帆を張ッて、其
の怒馬に乗り、其の雪山を踏み、直前勇往箭馳の如きもの、
たゞ我が舟のあるばかり。忽ちにして鰐津に至る。嘗て聞い
うづまき
て居る。鰐津は平曰風なき時にても、回淵藍染して盤渦谷の
如くに転じ、巨口大鱗の游泳出没する所、乃ち湖中の至険で
あると。然るに況して風波震激の時をやである。蓬を押して
水面を見れば、所謂地裂け天開くの勢、奇なるかな颶風忽ち
南北両面より吹いて軌り合ふ。斯くて帆腹表裏饑飽定まらぬ
が故に、舟は進みて又退き、退きて又進む。右に傾けば左に
昂り、左に傾けば右に昂りて踊るが如く、舞ふが如く飛沫峻
濺篷に入りて牀を侵す、実に危険至極の秋である。舟子呼ん
で曰ふ。
あぶな おいら
『他の舟は幾いと思ッて避けたに、某、見通しがつかなん
だ為にこんなことになッて、某、運命だから仕方もないが、
せんど
お客様方に済まぬ。舟人として、面目次第もない』と。
予は其の言意を聞いて、「共に魚腹に葬らるゝの患を免るゝ
ことは出来ぬ」と思ッた。が、却ッて心は落付いた居た。そ
して舟子を慰喩して斯う言ッた。
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『爾が誤ッて天気を見違へたも運命、吾輩が此の舟に乗り
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合せたも運命、どうすることも出来ないよ。たゞだ天に任せ
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るのみぢや。何も心配するには及ばぬ』と。
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『洗心洞箚記』
(本文)その252
泛び(うか)
(しょう)
昂(たかぶ)り
牀
(ゆか)
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