Я[大塩の乱 資料館]Я
2015.1.22

玄関へ

「大塩の乱関係論文集」目次
「大塩の乱関係史料集」目次


『通俗洗心洞箚記』
その22

大塩中斎著 下中芳岳(1878-1961)訳

内外出版協会 1913

◇禁転載◇

上巻 (18) 一八 父母の羞を貽さざれ

管理人註

昔人有言、貨色 功利之習、淪肌 浹髄。」此語警 人尤深矣、味淪 字浹字、稟生 之時、既淪浹了 吾体、亦非外 鑠者。故欲 孝于父母者、非良知以洗肌 之淪髄之浹 則往往必貽父母 之羞矣。雖 父母之羞則能養 其口体其労、 猶謂之不孝而 可也。

       ならはし はだへ し      めぐ  『貨色功利の習、肌に淪み髄に浹る』と昔の人は言ッたが、                      りん  せう 此の語の人を警むる実に剴切なるものがある。淪の字浹の字 共に「普く浸み込む」を意味する、即ち生を稟くる時、既に            しみわた          ○ ○ ○ ○ 貨色功利の習が共に体に淪浹つて居るので、決して外物の誘 ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ 惑によッて然るのでは無いとの意である。別な言葉で言へば、   ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ 「人は何事を解するにも物欲を本位とする傾向が生れた時既 ○ ○ ○ ○ ○ ○ に生じて居る」のである。従ッて孝を父母に尽する言ッても、 単に口体を養ひ、其の労に服するのみを以て孝行と心得るや うなことにもなる。既に、真に孝を父母に尽さうと思ふ者は、              はだへ しみこ            ならはし 先づ以て良知を致して、其の肌の淪んで居る貨色の習を洗ひ    ずゐ  めぐ            ならはし すゝ 落し、髄に浹ッて居る功利の慣を滌ぎ去らんければならぬ。 でないと、往々にして、孝を父母に尽さうと思ひながら、反ッ     はぢ                ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ て父母の羞を後世に貽すことゝなる。若し、良知を致さずし ○   ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○   たとひ ○ ○ ○ ○ て、父母の羞を後世に貽すが如きことあらば、仮令能く其の ○ ○ ○ ○ ○   ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○   ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ 口体を養ひ、其の労に服するあるも、其は猶ほ不孝の子と謂ッ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ て可なりである。

    中斎謂へらく、孝は、父母の遺体なる此の身此の心を護 り養ひ育て大にし強くし清くし高くするにある。故に口 体の養の如きは、孝の一小部分に過ぎぬ、「父母の羞を 貽さざるの努力」これが孝の要部であると。故を以て此 の言をなしたのである。大乗的の孝として吾人の大に賛 する所である。

『洗心洞箚記』
(本文)その19

剴切
(がいせつ)
ぴったりあて
はまること

稟(う)くる






















貽(のこ)す
 


『通俗洗心洞箚記』目次/その21/その23

「大塩の乱関係史料集」目次
「大塩の乱関係論文集」目次

玄関へ