枝葉萎、而根猶
存元気焉、則
有甦之理矣。
根既蠧、而枝葉
猶生者、則必
無甦之理也、
然而昧者修飾
其枝葉、以望
其盛茂。此可
笑。亦可自警。
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○ ○ ○ ○ しな ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ いきかへ ○ ○
枝や葉が萎びても、根に元気が存して居る限りは、甦らぬ
○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○むしばま○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○
とは限らぬ。根が既に蠧れて居れば、枝や葉やがたとひ暫く
○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○
は猶生くるが生きて居るやうに見えて居ても、到底甦へる見
○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ おろか ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○
込はない。世の多くの愚昧なる人達は此見易きの理を悟らず、
○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ さか ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○
徒らに其の枝や葉やを修飾して以て其の盛へ茂らんことを望
○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ◎ ◎ ◎ ひとごと ◎
んで居る、寔に此れ笑ふべきの至りである。否、此は他事で
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は無い。吾等も時に此の愚昧を悟らぬことが無いとも限らぬ。
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亦以て自ら警しむべきである。
然り、本を養はねばならぬ。徒らに浮華軽佻に流れんと
する今の世の俗、殊に此の語の味ふべきものがある。
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『洗心洞箚記』
(本文)その20
寔(まこと)
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