Я[大塩の乱 資料館]Я
2015.1.26

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『通俗洗心洞箚記』
その26

大塩中斎著 下中芳岳(1878-1961)訳

内外出版協会 1913

◇禁転載◇

上巻 (22) 二二 十目十指の真義

管理人註

拘而謂心在身 内者、十目十指 之義、一生不之。悟而識身 在心内者、意欲 機動時、非特十 目十指焉、蓋以 為天下之所視 指。何者、以身 外之虚皆吾心、而 万物往来起伏之地 故也。

   なづ                   おも  形の拘む結果、心は身の内に裏まれてあるのだと謂うて居         いふところ (一) るものは、大学に所謂の十目十指の真義を一生悟ることが出 来ぬ。形に拘まないで、悟り得て身の心内にあるを識るもの は、我が心中に我欲の念の動いた時にのみ特に十目十指の義 を考へ得るのみならず、更に其の意味を推し拡めて、天下の 視指する所、即ち社会の与論、世界の耳目、すべて是れ十目 十指の理に本づくと考へら得るやうになる。何となれば、一 たび太虚の理に悟り到らば、身外の虚は皆吾が心、而して其 は万物往来起伏の地であることが明になるからである。

    (一)大学に「十目十指の視る所、十指の指す所、それ   厳なるかな。」の語がある。言ふ意は、如何に幽独   の場所にありても、天知る、地知る、我が身知るで、   善悪正邪は蔽ふことが出来ぬの意。

『洗心洞箚記』
(本文)その25
 


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