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余職を辞して家居す。静閑無事。復び嘗て読みたる古本大学を取りて之
を以て講究し、ほゞ其の誠意致知の本色の一斑を窺ひ得たり。乃ち覚る其
な まゝ
の旧説に異なる微きことを。間窃に儒先の説を輯録して是の経を釈す。因
りて名けて古本大学刮目といふ。秘して未だ敢て諸を我が社の子弟にすら
伝へず、况んや他にをや。然るに其の斯の編摩の労に与れるもの、余に請
うて曰く『之を剞に附して、世の同志に恵まるれば幸甚』と。余乃ち辞
して曰く『何ぞ敢て、何ぞ敢て。夫れ自ら経を註する固より難し、諸説を
折衷して之を釈するは尤も難し。明鑒博雅の君子にあらざるよりは必ず遺
漏贅疣の誤あらん。釈せずして可なるもの猶之を釈し、釈せざるべからざ
るもの反ッて之を釈せず、而も又其の採り入るゝ所のもの、或は経と牴牾
決裂する他解の如きものあらんには、独り経を賊するのみならず、終に併
せて儒先解経の累をも胎すに至る、余が輯録する所のもの、恐らくは斯の
罪あるべからん。故に若し、此を世に伝へんか、百毀千謗、蜂起矢集、豈
免るゝを得んや。是に於て悔ゆるも亦既に晩し。故に梓して悔いんよりは
何ぞ梓せずして悔なきに如かんや。昔は伊川程子、其の中庸自註を火にし、
朱子其の死前三日、猶改本大学の誠意の章を改む。而して陽明先生嘗て五
経臆説を著はすと雖も、今、之を遺文中に伝ふるのみ、其の全文の如きは、
先生既に自ら秦火に附して久し。註経の難き、大賢猶此の若きものあり。
さきに
況んや吾輩、諸説を折衷して之を釈するをや。必ず向者謂ふ所の罪を免れ
ざる断じて知る可し。故に何ぞ剞に附するを敢てせん。若し夫れ斯学に
志あるものゝ如きは、写して以て閲して可なり。而も、猶已む無くんば其
れ唯箚記か。余が箚記は、河東の読書録、寧陵の呻語及び寒松堂の庸言
しる
等に傚ひて、目の触るゝ所、心の得る所之を筆して以て自から警め、又以
て子弟の憤を発するを助けんとするのみ。故に子弟転写の労を省かんが
為めに胥諸を梓に上さんことを謀る。家塾に蔵して世に公にせざらんには、
安んぞ之を許さゞるを得んや。
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『洗心洞箚記』(抄)
その14
剞闕
(きけつ)
明鑒
(めいかん)
贅疣
(ぜいゆう)
むだなもの
牴牾
(ていご)
物事がくい
ちがうこと
胎(のこ)す
矢集
(ししゅう)
晩(おそ)し
傚(なら)ひて
警(いまし)め
安(いずく)んぞ
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