Я[大塩の乱 資料館]Я
2014.12.21

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『通俗洗心洞箚記』
その3

大塩中斎著 下中芳岳(1878-1961)訳

内外出版協会 1913

◇禁転載◇

箚記自序 (1) (原著自序―原漢文)

管理人註
  

 余職を辞して家居す。静閑無事。復び嘗て読みたる古本大学を取りて之 を以て講究し、ほゞ其の誠意致知の本色の一斑を窺ひ得たり。乃ち覚る其         な          まゝ の旧説に異なる微きことを。間窃に儒先の説を輯録して是の経を釈す。因 りて名けて古本大学刮目といふ。秘して未だ敢て諸を我が社の子弟にすら 伝へず、况んや他にをや。然るに其の斯の編摩の労に与れるもの、余に請 うて曰く『之を剞に附して、世の同志に恵まるれば幸甚』と。余乃ち辞 して曰く『何ぞ敢て、何ぞ敢て。夫れ自ら経を註する固より難し、諸説を 折衷して之を釈するは尤も難し。明鑒博雅の君子にあらざるよりは必ず遺 漏贅疣の誤あらん。釈せずして可なるもの猶之を釈し、釈せざるべからざ るもの反ッて之を釈せず、而も又其の採り入るゝ所のもの、或は経と牴牾 決裂する他解の如きものあらんには、独り経を賊するのみならず、終に併 せて儒先解経の累をも胎すに至る、余が輯録する所のもの、恐らくは斯の 罪あるべからん。故に若し、此を世に伝へんか、百毀千謗、蜂起矢集、豈 免るゝを得んや。是に於て悔ゆるも亦既に晩し。故に梓して悔いんよりは 何ぞ梓せずして悔なきに如かんや。昔は伊川程子、其の中庸自註を火にし、 朱子其の死前三日、猶改本大学の誠意の章を改む。而して陽明先生嘗て五 経臆説を著はすと雖も、今、之を遺文中に伝ふるのみ、其の全文の如きは、 先生既に自ら秦火に附して久し。註経の難き、大賢猶此の若きものあり。                        さきに 況んや吾輩、諸説を折衷して之を釈するをや。必ず向者謂ふ所の罪を免れ ざる断じて知る可し。故に何ぞ剞に附するを敢てせん。若し夫れ斯学に 志あるものゝ如きは、写して以て閲して可なり。而も、猶已む無くんば其 れ唯箚記か。余が箚記は、河東の読書録、寧陵の呻語及び寒松堂の庸言                     しる 等に傚ひて、目の触るゝ所、心の得る所之を筆して以て自から警め、又以 て子弟の憤を発するを助けんとするのみ。故に子弟転写の労を省かんが 為めに胥諸を梓に上さんことを謀る。家塾に蔵して世に公にせざらんには、 安んぞ之を許さゞるを得んや。


『洗心洞箚記』(抄)
その14







剞闕
(きけつ)


明鑒
(めいかん)

贅疣
(ぜいゆう)
むだなもの

牴牾
(ていご)
物事がくい
ちがうこと

胎(のこ)す

矢集
(ししゅう)

晩(おそ)し



















傚(なら)ひて

警(いまし)め

安(いずく)んぞ


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