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請ふもの曰く諾。『彼れを舎いて此を梓する将に命に従はん。然れども、
将来若し世に漏出するあらば、百毀千謗必ず此れ彼れより甚しからん。何
となれば、先生の学を説くや、人情に協はざる者五あり。一に曰く、太虚
の説。二に曰く、良知を致すの説。三に曰く、気質を変化するの説。四に
曰く、死生を一とするの説。五に曰く、虚偽を去るの説是なり。夫れ太虚
の説は釈老に似、良知を致すの説は朱学に敵す。気質を変化するの説は客
気心に勝つ者の難んずる所、死生を一にするの説は凡庸怯惰輩の忌む所、
而して虚偽は則ち中人已下无始の妄縁、其の血肉の間に於てすら 和せざ
る者鮮なし。故に一も其の意に逆はざる無し。世の悪みを免れんと欲する
も得んや。百毀千謗の此れ彼より甚しといふ此を以てなり。先生宜しく三
思せられよ』と。余対へて曰く、誠に然り、誠に然り。而も子等此の五者
を以て先賢の成語と為すか、又我の創説と謂ふか。我の創説ならば宜しく
後慮あるべきなり。先賢の成語にして吾の特に之を発揮するのみならば、
又何ぞ患ふるに足らんや。況んや此は刮目の如く一経を釈するの比にあら
ず、是を以て未だ嘗て経を賊すると儒先解経の累を貽すとの罪あるにあら
ず。要は一家言のみ。故に縦ひ百毀千謗我れに萃るも亦何ぞ避けん。必ず
我れを益するものあらん。世の我れを教ふる良師友、其の百毀千謗に過ぐ
ひさ
るなし。余の是を人に望むや尚し、子等決して之を梓せよ。是に於てか我
が社の二三子、資を捐てゝ遂に諸を家塾に刻し、日ならずして工竣る。因
りて簡端に題して、其の彼を舎いて此れを梓する所以の由来を説く。而し
て巻は上下二編に分つと云ふ。
天保四癸巳夏四月
大塩後素
洗心洞人無き処にて書す
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『洗心洞箚記』(抄)
その14
協(かな)はざる
无始
(むし)
始まりのない
こと
和
(ざんわ)
鮮(すく)なし
悪(にく)み
対(こた)へて
貽(のこ)す
萃(あつま)る
捐(す)てゝ
竣(おわ)る
諸(これ)
舎(お)いて
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