Я[大塩の乱 資料館]Я
2015.2.4

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『通俗洗心洞箚記』
その32

大塩中斎著 下中芳岳(1878-1961)訳

内外出版協会 1913

◇禁転載◇

上巻 (28) 二八 誣言では無い

管理人註

強為善者猶有 之。自然為善 者絶無。而非 自然為善者、 難真交矣。 経事変而後 知吾言之非誣 也。

             ひと          うはべ  強ひて善事を為すもの、即ち他に好意を有するが如く表面 を繕ふものは無いことは無いが、自然に善事を為すもの、即             あらはれ     ひと ち心の実相として、真心の発現として他に好意を表し得るも                     ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ のは、殆ど絶無と言ッてよからう。然し、実はその絶無とも ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○   ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ いふべき自然に善事を為す人でなくては、真の交を締ぶこと ○ ○ ○ ○ ○   ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○   ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ が出来ない。強ひて善事を為す人は、利害によッて離合する ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ が故に真の交は望み難いのである。諸子よ、諸子の友に就い                         (一) て経験し見よ、今は親しい友だと思うて居ても、何か事変に 逢へば、がらり態度の変るものも少なく無からう。其の時に   わし       こじつけ は、己の言葉が誣言でなかッたと知れよう。

    (一)事変といふのは、こゝでは「貧するか、鈍するか、   悪名を受くるか、逆境に立つか」を指す。

『洗心洞箚記』
(本文)その30
 


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