強為 善者猶有
之。自然為 善
者絶無。而非
自然為 善者 、
難 締 真交 矣。
経 事変 而後
知 吾言之非 誣
也。
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し ひと うはべ
強ひて善事を為すもの、即ち他に好意を有するが如く表面
を繕ふものは無いことは無いが、自然に善事を為すもの、即
あらはれ ひと
ち心の実相として、真心の発現として他に好意を表し得るも
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のは、殆ど絶無と言ッてよからう。然し、実はその絶無とも
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いふべき自然に善事を為す人でなくては、真の交を締ぶこと
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が出来ない。強ひて善事を為す人は、利害によッて離合する
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が故に真の交は望み難いのである。諸子よ、諸子の友に就い
(一)
て経験し見よ、今は親しい友だと思うて居ても、何か事変に
逢へば、がらり態度の変るものも少なく無からう。其の時に
わし こじつけ
は、己の言葉が誣言でなかッたと知れよう。
(一)事変といふのは、こゝでは「貧するか、鈍するか、
悪名を受くるか、逆境に立つか」を指す。
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『洗心洞箚記』
(本文)その30
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