Я[大塩の乱 資料館]Я
2015.2.5

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『通俗洗心洞箚記』
その33

大塩中斎著 下中芳岳(1878-1961)訳

内外出版協会 1913

◇禁転載◇

上巻 (29) 二九 雑念を去れ

管理人註

オモヘラク 吾以為、常人熟睡 時反生、而明覚時 反死矣。何者、熟 睡時身雖死、 然心無一念矣。 心無一念則心徳 全焉。吾故以為反 生。而明覚時身固 生活。而心起雑念 矣。心起雑念則心 徳亡焉。吾故以為、 反死。因思、人学而 不覚時如睡時 無一念之地、則 豈大学之定静云乎 哉。豈周子之無極 而太極云乎哉。

 わし                 ね む           かへ  吾は斯う思ふ。常人は熟睡ッて居る時は反ッて生きて居て、 め さ          かへ 明覚めて居る時反ッて死んでるのだと。        ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○   ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○   ○ ○ ○  なぜッて。熟睡ッて居る時、身は死んだやうだが、心には ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○   ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ 一の邪念も宿ッて居らぬ。心に一の邪念も宿ッて居らぬなら ○   ○ ○ ○ ● ● ●まつた●   ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ば、それで心徳は全い。故に吾は反ッて生きて居るといふ。 ○   ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○   ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○   ○ ○ 又、明覚めて居る時、身は固より生活して居るけれど、心に ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○   ○ ○ ○ ○ ○ はあらゆる欲心や邪念が雑然として起ッて居る。欲心や邪念 ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ● ● ● むな ● ●   ● ● ● ● ● ● ● ● が雑然として起ッて居れば心徳は亡しい。故に吾は反ッて死 ● ● ● ● ● ● ● んで居るといふ。                         ◎ ◎ ◎ ◎  それ故、人が如何に学問して、それを自慢しても覚めて居 ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎   ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ る時でも睡ッて居る時でも、等しく一の邪念をも心に宿さな ◎ ◎ ◎ ◎ ◎               (一)     (二) い程の境地に到らないならば、かの大学の「定静」や周子の 「無極にして大極」やの理を真に会得したものでないから、 なほ語るに足らないと吾は思ふ。

    (一)大学首章に「止まるを知ッて後定まるあり、定まッ   て後静なり」とある。 (二)周茂叔は太極図説を著して儒教に一の哲学的体系   を与へ、宇宙の本体は「無極にして太極である」と   いッた。

『洗心洞箚記』
(本文)その36
 


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