オモヘラク
吾以為、常人熟睡
時反生、而明覚時
反死矣。何者、熟
睡時身雖如死、
然心無一念矣。
心無一念則心徳
全焉。吾故以為反
生。而明覚時身固
生活。而心起雑念
矣。心起雑念則心
徳亡焉。吾故以為、
反死。因思、人学而
不到覚時如睡時
無一念之地、則
豈大学之定静云乎
哉。豈周子之無極
而太極云乎哉。
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わし ね む かへ
吾は斯う思ふ。常人は熟睡ッて居る時は反ッて生きて居て、
め さ かへ
明覚めて居る時反ッて死んでるのだと。
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なぜッて。熟睡ッて居る時、身は死んだやうだが、心には
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一の邪念も宿ッて居らぬ。心に一の邪念も宿ッて居らぬなら
○ ○ ○ ○ ● ● ●まつた● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ●
ば、それで心徳は全い。故に吾は反ッて生きて居るといふ。
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又、明覚めて居る時、身は固より生活して居るけれど、心に
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はあらゆる欲心や邪念が雑然として起ッて居る。欲心や邪念
○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ● ● ● むな ● ● ● ● ● ● ● ● ● ●
が雑然として起ッて居れば心徳は亡しい。故に吾は反ッて死
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んで居るといふ。
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それ故、人が如何に学問して、それを自慢しても覚めて居
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る時でも睡ッて居る時でも、等しく一の邪念をも心に宿さな
◎ ◎ ◎ ◎ ◎ (一) (二)
い程の境地に到らないならば、かの大学の「定静」や周子の
「無極にして大極」やの理を真に会得したものでないから、
なほ語るに足らないと吾は思ふ。
(一)大学首章に「止まるを知ッて後定まるあり、定まッ
て後静なり」とある。
(二)周茂叔は太極図説を著して儒教に一の哲学的体系
を与へ、宇宙の本体は「無極にして太極である」と
いッた。
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『洗心洞箚記』
(本文)その36
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