常人動作云為、只
苟而已矣。臨財
苟得、臨難苟免、
苟、苟笑、莫
一不苟也。而常
人有貌如君子
遅重者、其於細
故小変也、雖如
不苟焉、臨利与
害必露其態矣。
是故君子敬以除
其病。除其病、
然後始免苟之軽
浮歟。
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かるはづみ
常人―修養の足らぬ人達の言ふこと行ふこと、すべて 苟
すこし かねまうけ ・・・・・・・・・・・
で些も落付がない。理財となれば、それが身の破滅になる場
・・・・・・ でくは
合であッても直ぐに手を出す。少し困難な事件に出遇すと、
・・・・・・・・・・・・・・・・・
それが後の修養になる場合であッても、たゞもうとッとゝ逃
させう
げ出す。些少の弱点を見れば、そして其の人が自分に気に入
そし
らねば、直ぐにる。自分の好まぬ人が少し失敗でもすれば
○ ○ ○ ○ ○ ○ ○かるはづみ○ ○ ○ ○ ○ ○
訳もなく笑ふ。一として「苟」即ち軽浮ならぬは無い。
かほつき どつしり
常人の中にも、其の貌が君子然として居て幾らか遅重した
ちいさなできごと
ところのあるやうに見える人がある。斯様な人は、細故小変
の場合には、容易に動かぬから、如何にも慎重で苟でないか
・・・・・・・・・・・・・・・・・
のやうにも見えるが、一たび自己の利害に関する事件に遭遇
・・・・・・・ぢがね・・・ ○
すると必ず其の態を露はす。つまり、修養が足りない為に利
○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○
害の念に支配されるからである。
つゝし
そこで、君子―修養に志す人達は、自ら反み、自ら敬んで、
此の利害の念に支配せられる病を除かうと努力する。人は此
の利害の念に支配せられる病を除き得て後、始めて苟の失敗
を免るゝことが出来るのだ。
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『洗心洞箚記』
(本文)その37
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