呂新吾先生曰。
「見利向前、見
害退後、同功専
美於己、同過委
罪於人、此小人之
恒態、而丈夫之恥
行也」。吾常誦之
鞭惰心、見利不
肯前、見害不肯
退、同功則帰之
乎人、同過則受
之乎己、惟是勉以
行之、猶恐類於
彼。況悠悠虚度者、
未必能免之也。
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呂新吾先生は言はれた。
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『利を見ては前に向ひ、害を見ては後に退き、功同じけれ
○ほまれ○ ○もつぱ ○ ○ ○ ○ ○ ○ あやまち○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ひと○ ゆだ○ ○ ○
ば美を己専らにせんとし、過同じければ、罪を他に委ねんと
○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○
する、これ小人の恒態、而して丈夫の行ふを恥づる所である』
と。
わし あへ
吾は、常に此後を誦読して惰心に鞭ち、利を見たりとて肯
すゝ ほまれ
て前まず、害を見たりとて肯て退かず、功同じければ美を人
に譲り、過同じければ罪を己に受けようと努力して居る。斯
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の如く、唯、此の一事を常に努力して行ッて居てすら、猶彼
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の小人の恒態に類する無きかを恐れつゝある。況して悠々寛々
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何等修養の為に努力せぬ人達にして、小人の恒態を免るゝ能
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はざるは寧ろ当然のことゝ言はねばならぬ。
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『洗心洞箚記』
(本文)その45
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