Я[大塩の乱 資料館]Я
2015.2.8

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『通俗洗心洞箚記』
その36

大塩中斎著 下中芳岳(1878-1961)訳

内外出版協会 1913

◇禁転載◇

上巻 (32) 三二 小人の恒態

管理人註

呂新吾先生曰。 「見利向前、見 害退後、同功専 美於己、同過委 罪於人、此小人之 恒態、而丈夫之恥 行也」。吾常誦之 鞭惰心、見利不 肯前、見害不肯 退、同功則帰之 乎人、同過則受 之乎己、惟是勉以 行之、猶恐於 彼。況悠悠虚度者、 未必能之也。

 呂新吾先生は言はれた。    ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○   ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○   ○ ○ ○ ○ ○  『利を見ては前に向ひ、害を見ては後に退き、功同じけれ ○ほまれ○ ○もつぱ ○ ○ ○ ○ ○ ○  あやまち○ ○ ○ ○ ○   ○ ○ ひと○ ゆだ○ ○ ○ ば美を己専らにせんとし、過同じければ、罪を他に委ねんと ○ ○   ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○   ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ する、これ小人の恒態、而して丈夫の行ふを恥づる所である』 と。  わし                        あへ  吾は、常に此後を誦読して惰心に鞭ち、利を見たりとて肯  すゝ                      ほまれ て前まず、害を見たりとて肯て退かず、功同じければ美を人 に譲り、過同じければ罪を己に受けようと努力して居る。斯                          ・・ の如く、唯、此の一事を常に努力して行ッて居てすら、猶彼 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ・・・・・・・ の小人の恒態に類する無きかを恐れつゝある。況して悠々寛々 ・・・・・・・・・・・・・・・・ ・・・・・・・・・・ 何等修養の為に努力せぬ人達にして、小人の恒態を免るゝ能 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ はざるは寧ろ当然のことゝ言はねばならぬ。

    (一)呂新吾は明の純儒、陽明の流れを汲みて修治の功   頗る深く、「呻語」の著あり。中斎の最も私淑せ   し人。


『洗心洞箚記』
(本文)その45
 


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