モシ
天如有 心而運 用
春夏秋冬 、則顛倒
錯施、万生却不 得
生育 也。故人不
帰 乎太虚 、而外
行 仁義 則亦復然。
其受 害者不 鮮矣。
荘子非 毀 仁義 、
其所 毀在 於有 私
心 而行 之者 也。
豈謂 不可 哉、
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天は自然である。無自覚である、故に偽もなく、技巧もな
も
い。如し天に何か意志があッて春夏秋冬を運用して居るなら
ば、そこに様々の手ちがひが生じて顛倒錯施、万物は反ッて
完全に生育することが出来ぬであらう。是と同じく、人も亦、
太虚に帰らないで、外部的に仁義を行ふならば、そこに人為
いろ/\
の技巧が加はる故、種々の故障が生じて害を受くるものも鮮
(一)
なくあるまい。荘子が仁義を悪しざまに言ッたのは、仁義そ
そし
のものを毀ッたのでは無い。私心あッて仁義を行ふ場合を毀ッ
いけない
たのであッて、荘子の謂ふ所は何も不可ことでは無いのだ。
(一)荘子、名は周、楚の人、老子の後をうけて其の無為哲
学(道教)を大成鼓吹した人である。
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『洗心洞箚記』
(本文)その52
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