Я[大塩の乱 資料館]Я
2015.2.10

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『通俗洗心洞箚記』
その38

大塩中斎著 下中芳岳(1878-1961)訳

内外出版協会 1913

◇禁転載◇

上巻 (34) 三四 自然の善

管理人註

 モシ 天如有心而運用 春夏秋冬、則顛倒 錯施、万生却不 生育也。故人不乎太虚、而外 行仁義則亦復然。 其受害者不鮮矣。 荘子非仁義、 其所毀在於有私 心而行之者也。 豈謂不可哉、

 天は自然である。無自覚である、故に偽もなく、技巧もな    い。如し天に何か意志があッて春夏秋冬を運用して居るなら ば、そこに様々の手ちがひが生じて顛倒錯施、万物は反ッて 完全に生育することが出来ぬであらう。是と同じく、人も亦、 太虚に帰らないで、外部的に仁義を行ふならば、そこに人為          いろ/\ の技巧が加はる故、種々の故障が生じて害を受くるものも鮮        (一) なくあるまい。荘子が仁義を悪しざまに言ッたのは、仁義そ     そし のものを毀ッたのでは無い。私心あッて仁義を行ふ場合を毀ッ                 いけない たのであッて、荘子の謂ふ所は何も不可ことでは無いのだ。

(一)荘子、名は周、楚の人、老子の後をうけて其の無為哲   学(道教)を大成鼓吹した人である。


『洗心洞箚記』
(本文)その52
 


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