Я[大塩の乱 資料館]Я
2014.12.24

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『通俗洗心洞箚記』
その5

大塩中斎著 下中芳岳(1878-1961)訳

内外出版協会 1913

◇禁転載◇

上巻 (1) 一 天

管理人註

天不特在上蒼蒼 太虚已也、雖石 間虚、竹中虚、 亦天也。況老子 所云谷神乎。谷 神者、人心也。故 人心之妙与天同、 於聖人験矣、 常人則失虚、焉 足之哉。

 (一)             あを/\         おほそら  天といふのは、特に上にあッて蒼々として居る太虚ばかり         すきま    うつろ ではない。石の虚も竹の虚も亦天である。老子は曾て、谷の                 (二)     よ 物なきに響を伝ふるよりして之を「谷神」と称んで、霊ある ものの如く考へたが、此の谷神の如きも天である。と同時に 人の精神と同じく虚である。故に、人心の霊妙、天と本質を 同じうすること、其の実例を聖人に見ることが出来る。常人 は虚を失ふが故に、其の心が、天と通ずるなどとは勿論言へ ぬけれど。

    (一)天空は吾人をして虚大無辺、公明正大の感を起さ                     あが   しむるもの故、自然天を人格化して之を崇むる思想   が起ッた。東洋には此の拝天思想が頗る発達した。   中斎は斯く、神化せられた天空を更に、空間的に想   化した。かくて、宇宙一切の空間は『天』である、   人身内部の空間また天である、故に人心はやがて太   虚(一切の空間)と相通じて居ると考ふるに至ッ   た。今日から考へれば、物理学的にも哲学的にも頗   る附会の論たるを免れないけれども、而も、之を   「象徴的の見方」として考ふる時、そこに多大の興   趣と意義とを見出すことが出来る。 (二)老子は道を具体的に象徴して「谷神」と言ッた。   谷の中央には更に谷なし、而も総ての響を伝へる、   即ち虚無の道であると。


『洗心洞箚記』
(本文)その2


谷神
(こくしん)
 


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