Я[大塩の乱 資料館]Я
2015.2.13

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『通俗洗心洞箚記』
その41

大塩中斎著 下中芳岳(1878-1961)訳

内外出版協会 1913

◇禁転載◇

上巻 (37) 三七 一日を一年と思ふ

管理人註

我常以一日一 年。歴度光陰焉。 因近読古人以一 日百年、以 百年一日之語、 悟道無窮、而学 無際也。 或問、「子以一日一年之義、如 何。」 予笑而不答。再三 請。困曰。「予非他術也。只日 以子丑実為仲冬 季冬之時、以寅 卯辰実為孟春仲 春季春之時、以 巳午未実為孟夏 仲夏季夏之時、 以申酉戌実為孟 秋仲秋季秋之時、 而以亥実為初冬 之時、而寤寐常 見吾性。仁義礼 智之妙、与天運 一箇、更不須 臾之間断也。如一 有間断、則禽而 非人、死而非生、 是故致良知以省 察修治、則起臥至 瑣屑之事、不仁義礼智而行 之也。工夫於是、 則以一日一年 猶未矣。雖百 年可也。故送一 日之光陰豈亦容易 也哉。予因再三之 請、不已以吐 露之也。冀以吾 言衿大矣。

 わし                        吾は常に一日を一年だと思ッて光陰を数へて居る。近ろ古 人が、「一日を以て百年となし、百年を以て一日となす」の                 かぎり 語を読んで、道の窮まりなく、学の際なきを悟ッた。            むか       きみ  此の程、或る人、吾に対ッて、「子の一日を以て一年とせ                  たづ         わし られる意義はどういふ点にあるか」と訊ねる。初め予は、笑ッ て答へなんだ。答へても会得出来まいと思ッたからである。 が、再三の請に仕方なしに答へた。  「吾の考へて居る所は別に込入ッた術がある訳ではない。 たゞ、日の子丑の刻を以て、仲冬季冬の時だと思ひ、寅卯辰 の刻を以て、孟春仲春季春の時と思ひ、巳午未の刻を以て孟 夏仲夏季夏の時と思ひ、申酉戌の刻を以て、孟秋仲秋季秋の 時と思ひ、亥の刻を以て初冬の時だとする。かくして常に寤                           ひと 寐の間、吾が性を見るに、仁義礼智の妙、天の運行と全く一               もし 箇、更に須臾の間断すらない。如、一も間断あッて、それが           とりけもの 一致せぬならば、そは 禽 であッて人では無い。死んで居る のであッて生きて居るのでは無い。されば、人にして良く良 知を致して省察し修治する所あらば、起き臥しを始めとして                          そむ 極めて瑣屑なる出来事に処するにすら、総て仁義礼智に叛い                     こゝ て之を行ふことが出来ない。修養進みて工夫茲に至らば、一 日を一年とするも猶足りない。実に一日を以て百年としても よろし 可い。だから一日の光陰を送るといふも、実に容易のもので は無い。予は、再三の請に依ッて、已むを得ず、此の事を吐         ねがは 露したのである。冀くは、予の言ふ所を以て徒に誇張の言と                   なさず、心を用ひて省察修治なさるが可からう」と。

    やゝ無稽に近き観なきにあらねど、一日、一年、一生、 皆同じリズムスを以て進行するのは事実で、其の点か ら考へても一種の興味がある。更に克己慎独の修養法 として見れば一層深い意味がある。


『洗心洞箚記』
(本文)その59
 


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