我常以 一日 為 一
年 。歴 度光陰 焉。
因 近読 古人以 一
日 為 百年 、以
百年 為 一日 之語 、
悟 道無 窮、而学
無 際也。
或問、「子以 一日
為 一年 之義、如
何。」
予笑而不 答。再三
請。困曰。「予非
有 他術 也。只日
以 子丑 実為 仲冬
季冬之時 、以 寅
卯辰 実為 孟春仲
春季春之時 、以
巳午未 実為 孟夏
仲夏季夏之時 、
以 申酉戌 実為 孟
秋仲秋季秋之時 、
而以 亥実為 初冬
之時 、而寤寐常
見 吾性 。仁義礼
智之妙、与 天運
一箇、更不 有 須
臾之間断 也。如一
有 間断 、則禽而
非 人、死而非 生、
是故致 良知 以省
察修治、則起臥至
瑣屑之事 、不 能
叛 仁義礼智 而行
之也。工夫於 是、
則以 一日 為 一年
猶未矣。雖 為 百
年 可也。故送 一
日之光陰 豈亦容易
也哉。予因 再三之
請 、不 得 已以吐
露之 也。冀以 吾
言 勿 衿大 矣。
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わし か
吾は常に一日を一年だと思ッて光陰を数へて居る。近ろ古
人が、「一日を以て百年となし、百年を以て一日となす」の
かぎり
語を読んで、道の窮まりなく、学の際なきを悟ッた。
むか きみ
此の程、或る人、吾に対ッて、「子の一日を以て一年とせ
たづ わし
られる意義はどういふ点にあるか」と訊ねる。初め予は、笑ッ
て答へなんだ。答へても会得出来まいと思ッたからである。
が、再三の請に仕方なしに答へた。
「吾の考へて居る所は別に込入ッた術がある訳ではない。
たゞ、日の子丑の刻を以て、仲冬季冬の時だと思ひ、寅卯辰
の刻を以て、孟春仲春季春の時と思ひ、巳午未の刻を以て孟
夏仲夏季夏の時と思ひ、申酉戌の刻を以て、孟秋仲秋季秋の
時と思ひ、亥の刻を以て初冬の時だとする。かくして常に寤
ひと
寐の間、吾が性を見るに、仁義礼智の妙、天の運行と全く一
つ もし
箇、更に須臾の間断すらない。如、一も間断あッて、それが
とりけもの
一致せぬならば、そは 禽 であッて人では無い。死んで居る
のであッて生きて居るのでは無い。されば、人にして良く良
知を致して省察し修治する所あらば、起き臥しを始めとして
そむ
極めて瑣屑なる出来事に処するにすら、総て仁義礼智に叛い
こゝ
て之を行ふことが出来ない。修養進みて工夫茲に至らば、一
日を一年とするも猶足りない。実に一日を以て百年としても
よろし
可い。だから一日の光陰を送るといふも、実に容易のもので
は無い。予は、再三の請に依ッて、已むを得ず、此の事を吐
ねがは
露したのである。冀くは、予の言ふ所を以て徒に誇張の言と
よ
なさず、心を用ひて省察修治なさるが可からう」と。
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『洗心洞箚記』
(本文)その59
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