Я[大塩の乱 資料館]Я
2015.2.14

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『通俗洗心洞箚記』
その42

大塩中斎著 下中芳岳(1878-1961)訳

内外出版協会 1913

◇禁転載◇

上巻 (38) 三八 情の発動を慎むべし

管理人註

慶雲鳴雷凄風和気、 皆是太虚之象、而 不常有、然有時 出焉。喜怒哀楽、 皆是人心之情、而 不常有、然有時 起焉。故喜怒哀楽、 便是天之慶雲鳴雷 凄風和気、而慶雲 鳴雷凄風和気、便 是人之喜怒哀楽也。 元是不二矣。然而 人不乎太虚、 而喜怒哀楽、任情 起減、則亡徳喪 身之基也。故君子 慎独帰乎太虚、 惟是之務。是以当 喜怒哀楽之境、尤 忍而不軽起焉。 如吾者則反之。 宜慎也。

 慶雲、鳴雷、凄風、和気、皆是れ太虚の象である。而して 此は常住不変の存在では無くて時あッて現はるゝ。  喜、怒、哀、楽、是れ皆人心の情である。而して此れ亦常 住不変の存在では無くて、時あッて起り来る。  故に、人の喜、怒、哀、楽は、取りも直さず天の慶雲、鳴                        やが 雷、凄風、和気、天の慶雲、鳴雷、凄風、和気も亦即て人の 喜、怒、哀、楽、もと是れ二つのものでは無い。  けれども、人にして其の心太虚に帰るを努むるなく、喜、                      うしな    うしな 怒、哀、楽、情に任せて起滅するあらば、徳を亡ひ身を喪ふ の基となる。故に君子は独りを慎みて以て太虚に帰るを唯是 れ之を務むる。さればこそ、喜、怒、哀、楽の境に臨んで、                    わし 忍耐して以て軽々しく行動せぬのである。予は、性来、情に 激し易く、為に君子の忍耐して以て情を制せんとするに反す る傾向がある。慎まんければならぬ。

    之を己が身に反して以て短所を補ひ弱点を矯めんとす る修養的態度の如何に熾烈なりしかを知るに足る。


『洗心洞箚記』
(本文)その62
 


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