「聴於無声、視於
無形。」子之事親、
致情尽心、乃至
如此、則庶乎孝
矣。如臣於君、其
志在聴於無声、
視於無形者、多是
便嬖奸侫之小人、而
決非忠臣義士也。
事親与事君之別、
於是焉可見矣。然
而子聴於無声、視
於無形、以養親志
者、天下鮮。而臣聴
於無声、視於無形、
以逢君悪者、天下
多矣。此可慨也。
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(一)
『声無きに聴き、形無きに視る』とは子の親に事ふるの道
まさ
を謂ッたもので、其の情を尽す正に此の如くなるを得ば孝に
ちか
庶い。而も、臣の君に事ふる場合に於て、其の声無きに聞き、
形無きに視んことを志す者の如きは、多くは是れ便嬖奸侫の
小人であッて、決して忠臣義士では無い。親に事ふると、君
・・・ ・
に事ふるとの異なる点は実に是にある。然るに、今の世、子
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の親に事ふるもの、其の声無きに聴き、其の形無きに視て、
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以て親の志を養ふもの天下極めて鮮なく、而も君に事ふるの
・・・・・・・・・・・・ ・・・・・・・・ ・・(二)・
臣にして其の声無きに聴き、其の形無きに視て、以て君悪に
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逢ふもの、天下頗る多きは寔に是れ慨すべきの限りである。
(一)礼記にある語。「子たるものは、親の意に先だち
て志を承くべく、親の側にあッて、常に謹みて親の
言動を察し、其の言はんと欲する所、行はんと欲す
る所を迎へて孝を尽すべきである」の意。
(二)君の放逸遊情に流れんとする悪傾向に迎合して、
其の悪事を増長せしめて、以て自ら媚びつかんとす
るを言ふ。
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『洗心洞箚記』
(本文)その69
便嬖奸侫
(べんへいかんねい)
寔(まこと)
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