Я[大塩の乱 資料館]Я
2015.2.17

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『通俗洗心洞箚記』
その45

大塩中斎著 下中芳岳(1878-1961)訳

内外出版協会 1913

◇禁転載◇

上巻 (41) 四一 天下此の類多し

管理人註

「聴於無声、視於 無形。」子之事親、 致情尽心、乃至此、則庶乎孝 矣。如臣於君、其 志在於無声、 視於無形者、多是 便嬖奸侫之小人、而 決非忠臣義士也。 事親与君之別、 於是焉可見矣。然 而子聴於無声、視 於無形、以養親志 者、天下鮮。而臣聴 於無声、視於無形、 以逢君悪者、天下 多矣。此可慨也。

  (一)  『声無きに聴き、形無きに視る』とは子の親に事ふるの道               まさ を謂ッたもので、其の情を尽す正に此の如くなるを得ば孝に ちか 庶い。而も、臣の君に事ふる場合に於て、其の声無きに聞き、 形無きに視んことを志す者の如きは、多くは是れ便嬖奸侫の 小人であッて、決して忠臣義士では無い。親に事ふると、君                       ・・・ ・ に事ふるとの異なる点は実に是にある。然るに、今の世、子 ・・・・・・・・ ・・・・・・・・ ・・・・・・・・ の親に事ふるもの、其の声無きに聴き、其の形無きに視て、 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ・・・・・・・・ 以て親の志を養ふもの天下極めて鮮なく、而も君に事ふるの ・・・・・・・・・・・・ ・・・・・・・・ ・・(二)・ 臣にして其の声無きに聴き、其の形無きに視て、以て君悪に ・・・・ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 逢ふもの、天下頗る多きは寔に是れ慨すべきの限りである。

    (一)礼記にある語。「子たるものは、親の意に先だち   て志を承くべく、親の側にあッて、常に謹みて親の   言動を察し、其の言はんと欲する所、行はんと欲す   る所を迎へて孝を尽すべきである」の意。 (二)君の放逸遊情に流れんとする悪傾向に迎合して、   其の悪事を増長せしめて、以て自ら媚びつかんとす   るを言ふ。


『洗心洞箚記』
(本文)その69






便嬖奸侫
(べんへいかんねい)



寔(まこと)
 


『通俗洗心洞箚記』目次/その44/その46

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