Я[大塩の乱 資料館]Я
2015.2.18

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『通俗洗心洞箚記』
その46

大塩中斎著 下中芳岳(1878-1961)訳

内外出版協会 1913

◇禁転載◇

上巻 (42) 四二 順逆何れの境に処するも

管理人註

天地之道、一順一逆 而已矣。如順境、 則雖心帰乎虚、亦善応焉。而至 逆境、則非心帰乎 虚、不之 也。姑以論語首章 言、則「学習朋来」 即順境、故猶易、而 「人不知而不即 逆境、故難。然而虚 心之君子処之、則又 猶与順境異矣。 其他以此可類知也。

 天地の道は、一順来らば之に次ぐに一逆の来るが常である。 故に其の来るものゝ順境に由ッて心を二三にすべきでは無い。 ところが、人情の常として、順境に対しては心虚ならずとも、 之に適応し得れど、逆境に立ッては、心虚に帰り得る人でな くては之に適応することが出来ない。姑く例を論語の首章に 取らんに、「時に之を学習する、朋遠方より来る」は順境、 故にかゝる場合に喜悦満足を表することは易い。が「人に知      いか られずしてチらざる」は逆境、故にかゝる場合にチらざるは 頗る難い。されど、心を虚しうし得る君子は、之に処して猶 ほ順境に応ずると何等異なるなきを得る。他は皆此を以て類 知すべきである。


『洗心洞箚記』
(本文)その73

 


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