天地之道、一順一逆
而已矣。如順境、
則雖不心帰乎虚
者、亦善応焉。而至
逆境、則非心帰乎
虚者、不足応之
也。姑以論語首章
言、則「学習朋来」
即順境、故猶易、而
「人不知而不チ即
逆境、故難。然而虚
心之君子処之、則又
猶与順境無異矣。
其他以此可類知也。
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天地の道は、一順来らば之に次ぐに一逆の来るが常である。
故に其の来るものゝ順境に由ッて心を二三にすべきでは無い。
ところが、人情の常として、順境に対しては心虚ならずとも、
之に適応し得れど、逆境に立ッては、心虚に帰り得る人でな
くては之に適応することが出来ない。姑く例を論語の首章に
取らんに、「時に之を学習する、朋遠方より来る」は順境、
故にかゝる場合に喜悦満足を表することは易い。が「人に知
いか
られずしてチらざる」は逆境、故にかゝる場合にチらざるは
頗る難い。されど、心を虚しうし得る君子は、之に処して猶
ほ順境に応ずると何等異なるなきを得る。他は皆此を以て類
知すべきである。
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『洗心洞箚記』
(本文)その73
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