月之障乎樹葉、而
雖葉間漏於光、
葉之当処遮了、乃似
虧月体而非虧焉。
是可悟常人良知之
障於気質、而隠見
断息之義也。故学
不至変化気質、
則良知雖存於内、
焉能照徹於外也哉。
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月が樹の葉に障へられた時、光は葉の間を漏るけれども、
○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○つきのかたち ○
葉に当る所は遮へられてある故、一寸見ると、恰も 月体 が
か ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○
虧けてゐるかのやうに見える。しかも月は決して虧けて居な
○ ○ ○ ○ ○ ○(一)○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○
い。人には誰も良知がある。けれども常人にあッては、良知
○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○(二)○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○
は気質の為に障へられて、而て隠見断息すること、恰も月光
○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ やう ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○
が木の葉に障へられるが如である。されば、学問修養の目的
○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○(三) ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○
は、主として、此の良知を覆うて居る気質を変化するにある。
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若し、人にして、善く此の気質を変化して純良ならしめぬな
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らば、心の奥底に良知が潜んでゐるに拘らず、其の光を放ッ
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て外界を照徹するに至らない。
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『洗心洞箚記』
(本文)その65
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