Я[大塩の乱 資料館]Я
2015.2.21

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『通俗洗心洞箚記』
その49

大塩中斎著 下中芳岳(1878-1961)訳

内外出版協会 1913

◇禁転載◇

            もとのまゝ すがた
上巻 (45) 四五 本然の相

管理人註

心帰乎太虚、則 太虚乃心也。然後 当道与学之 無崖際也。夫人 之嘉言善行、即吾 心中之善、而人之 醜言悪行、亦吾心 中之悪也。是故聖 人不視之 也。斉家治国平天     トシテ 下、無一不心        トシテ 中之善。無一不心中之悪。道 与学無崖際 見矣。或曰。「如 子之説則悪人之罹 刑、亦刑聖人之心 者乎」。曰。「然矣。 是即去吾心之悪之 道也。然而不 悲也、豈亦可歓喜 乎」。曰。「善人之 遇賞、亦賞聖人之 心者乎」。曰。「然 矣。是即存吾心之善 之道也。然而不喜也、豈亦可乎。只嫉人之 善、歓喜人之悪者、 以吾心我物、 乃一小人、而非聖人 太虚之心也。「然則 心也者、善悪混焉乎」。 曰、「心之体、太虚 也。太虚一霊明而已 矣。何善悪混之有。 然気之往来消長、則 不過不及也。 只其過不及、便是 気之所由生也。而 未嘗能乎太虚之 霊明也。子試仰眼 看天。則疑亦自解 矣。奚待吾之弁哉」。

 心一たび太虚に帰れば、太虚は即ち我が心。かくて始めて      がいさい      ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎   ◎ ◎ やが ◎ ◎ ◎ ◎ 修道進学の崖際なきを知る。人の嘉言善行、其は即て我が心 ◎ ◎ ◎   ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎   ◎ ◎ やが ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ・・・ すべて 中の善。人の醜言悪行、其は即て我が心中の悪。聖人は一切 ・・・・・・つゝ・・・・・ ・・・・・・・・・・ ・・・ を我が心中に裏めるが故に、他人の行為に対しても、社会の ・・・・・・・・・・・よそごと・・・・・・・・・・・・・・ 出来事に就いても決して外事として冷眼視するに忍びぬので ・・ ある。家を斉ふる、国を治むる、天下を平にする、一として 我が心中の善の発現ならぬは無い。一として我が心中の悪を 去るを要せざるをは無い。さればこそ修道進学には崖際がな いと言ふのである。然るに、或る人は斯う言ふ。     あなた  『では子の説は、悪人が刑せらるのは、同時に聖人の心を                    わし 刑することになると言はるゝのか。』と。予は答へた。  『さうとも、世に悪人があッて、それが罪せられるのは、                           ひと 取りも直さず我が心が罪せられるのである。何となれば、他    やが の心は即て我が心の中にあるからである。又、悪人の刑せら れるのを見て、我が事の如く思へばこそ、我が心中の悪を去 り得て徳に進むことが出来るのである。悪人が刑せられるの は固より当然ではあるが、而も其の悪事を犯すの已むなきに 至ッた所以を静に考ふれば、是を我が事として悲まざるを得 なくなる。どうして「其れ見よ、悪事を犯すが故に刑せられ            よろこ るのだ」とて冷然として歓喜ぶことが出来ようぞ。』  『では、其の善人が賞に遇うた場合にも、矢張り、聖人の 心を賞するものだと言はるゝのか。』  『さやう、其は悪人の罪せられる場合と同じく吾が心を賞                     そね ねた するものと思うて歓喜すべきである。決してみ嫉んではな らない。また斯くあッてこそ始めて他の善を見て我が善を進              ◎ ◎ ひと ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎   ◎ むることにもなるのである。かの他の善を見てみ嫉み、他 ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎  おの ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ もの ◎ ◎ ◎ ◎ の悪を見て歓び喜ぶが如きは、己が心を以て我が有と限るの ◎   ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎   ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ で、其は一小人である、聖人太虚の心では無い。』      あなた  『然らば子は、我が心を以て善悪相混ずるものとせらるゝ か。』                『いや、決して左様な考は有たぬ。吾が心の本体は唯一の 太虚、太虚は一の霊明不可思議なる実在である。唯一。善も なければ悪もない。どうして善悪相混ずと言ひ得よう。』  『けれども、気の往来消長がある以上、そこに過不及が生 ずるであらう、過不及なき状態を善と見れば、過不及あるは やが 即て悪ではないか。』  『成るほど気には過不及がある。宛も大空に雲がかゝるが やうに。而も其は心の本体では無い。如何に気に過不及があッ たればとて、心の本体たる太虚の霊明を損することは出来な   きみ  ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ あ ◎ ◎ ◎ ◎ み ◎   ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ い。子、試みに眼を仰げて天を看よ。かの清澄深淵なる大空 ◎ ◎ ◎   ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎   ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎   ◎ ◎ を視よ。時に風起り雲捲くとも、其は即て消え失する、而も ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ありのまゝ◎すがた ◎ ◎ ◎ ◎ためし◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎   未だ嘗て大空の 本然 の相を損じた例は無いでは無いか。此                        きみ の理を静に考へらるゝならば、吾が弁を待たずして子自ら子 の疑問を解き得らるゝであらう。』

    此の條、実に中斎の真精神を明にしたものである。之を                         ひと 彼の実行に見る。彼は、市民の饑饉に苦しむを見ては他 ごと 事とは思へず、再三、役所に請願して聴かれざるを見る や、己が蔵書の総てを売却して其の貧民を饑餓の中から 救はうとした。是れ実に聖人太虚の心の実現では無いか。

『洗心洞箚記』
(本文)その83

 


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