Я[大塩の乱 資料館]Я
2015.2.23

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『通俗洗心洞箚記』
その51

大塩中斎著 下中芳岳(1878-1961)訳

内外出版協会 1913

◇禁転載◇

                  
上巻 (47) 四七 其の蓋を撤れ

管理人註

紫之奪朱也。 悪鄭声之乱雅 楽也、悪利口 之覆邦家。 今有両眼而不 明者、好紫甚乎 朱、有両耳而 不聴者、好鄭厭 雅、有這心而不 開者、溺於利口、 而屏遏忠告直言 之人、此皆以習 気情欲蓋良知也。 オオフモノ 若蓋者除、則良知 宛然出焉。然後悪 之与聖人一般。 否則雖書史 文章、猶好紫好 鄭、与於利口、 未嘗異於凡俗人   カクノゴトキ 也。若人而在下、 則必亡徳矣、在 上則不於夫子 之所戒也。鳴呼、 此聖人之亀鑑、万 世不誣者也。

 (一)         (二)            (三)  紫の朱を奪ふを悪む心、鄭声の雅楽を乱るを悪む心、利口 の邦家を覆す者を悪む心、斯の心は誰にも自然に具ッて居る。       ふたつのめ           あきらか 然るに、今、両眼はありながら、心の眼の 明 ならぬが為に、                        ふたつのみゝ 紫を好むこと、朱を好むよりも甚しきものがある。両耳はあ          あきらか りながら、心の耳の 聡 ならぬが為に、野卑なる音楽を好む                         こと上品なる音楽を好むよりも甚しいものがある。這の心は        ありのまゝ すがた あら ありながら心の本然の相を発はさぬが為に、利口に溺れて忠       しりぞ おさ            (四) 諫直言の人を屏け遏ゆる人がある。習気情欲の雑念が良知を 葢ふからである。故に若し、此の雑念を除き去るならば、良   すつきり 知は宛然として現はれ出づる。一たび良知が現はるれば、か の紫の朱を奪ふを悪み、鄭声の雅楽を乱るを悪み、利口の邦               ひとしなみ 家を覆へす者を悪むこと聖人と一般となる。然るに若し、か く雑念を除いて良知を現さぬに於ては、其の人如何に書史を 窮め、文章に富むとも、なほ、かの紫を好み、鄭声を好み、 利口に溺るゝ所の凡俗人と何等異なる所もない。斯の如き凡 俗と異ならざる人、若し下に在らば必ず徳を失ふべく、若し       (五) 上に在らば、夫子の戒められたる所を免れ得ぬであらう。孔 子の言はれた、「鄭声を放ち侫人を遠ざけよ、鄭声は淫に、 侫人は危し」の語、あゝこれ寔に聖人の亀鑑、万世の下誣ふ るなき垂訓である。

    (一)紫の朱を奪ふこと、猶ほ悪友の善友を誘惑するが   如しの意。紫は吾人に対する誘惑の総称。 (二)鄭声は夷狄の音楽、国乱れんとして盛になると言   はる。卑陋粗野なる音楽、即ち俗曲の類。雅楽は高   尚なる音楽。 (三)利口は社会国家の利益よりも先づ己が利益を思ふ   自己本位の人が奸侫譎詐、以て上の御機嫌を取るを   いふ。 (四)習気といふのは、本来の気質ではなくて、社会に   もまるゝ間に附け加はッた気質である。 (五)夫子の戒むる所は、論語の「鄭声を放ち云々(釈   文中にあり)」を指す。

『洗心洞箚記』
(本文)その86






































寔(まこと)に

















譎詐
(きっさ、けっさ)
あざむきいつ
わること
 


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