Я[大塩の乱 資料館]Я
2015.2.28

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『通俗洗心洞箚記』
その56

大塩中斎著 下中芳岳(1878-1961)訳

内外出版協会 1913

◇禁転載◇

上巻 (52) 五二 儒者と禅師の門答

管理人註

黄陶菴曰、李習 之問一禅師。 「如何是黒風吹 船瓢堕羅刹鬼国。」 師云。「李小子、 問此何為。」李 怒形於色。師笑 曰。「発此悪心、 即是瓢堕鬼国也。」 調心之難如此云。 夫文字之儒、愚弄 乎玄悟之浮屠毎毎 如此。儒者真看 破学庸之慎独以下 工夫、則他法術皆 存於其中。而老 仏自黙奪乎我矣。 否則二氏却高出于 儒者思為之上。陶 菴之意、抑亦在於 茲歟。

    (一)  『曾て李習之と言ふ人が、一禅師に問をかけて「黒風船を 吹き瓢として羅刹鬼国に堕すとは何の意か」と。すると禅師 は、「何だ、李小子輩に左様なことの意味が解るものか、 一体、お前は、それを問うて何にするのだ」と言ひ放ッた。   むつ                   あらは 李は怫として、怒髪将に冠を衝かんばかりの色を形した。す                  きみ ると禅師は笑ひながら斯う言ッた。「子は今怒ッて居る。そ れは善くない心ぢや。其の心が瓢として鬼国に堕すのぢや。」 と。心を調ふることの困難なる寔に斯きものがある。』とは (二)               (三)        (四) 黄陶菴の物語。実際、文字の儒が、玄悟の浮屠に愚弄せらるゝ つね                   (五) 毎に毎に此の如しだ。儒者にして若し、真に学庸の慎独の意 味を看破し会得して、以て自ら研鑚修養を怠らぬならば、あ らゆる法術皆此の中に存するが故に、仏老却ッて我に頭を下 げて来るであらうに、悲むべし、儒者多くは李氏の如き皮相 の観を為すが故に、仏老二氏の教義反ッて高く儒者の思為の            しま 上に出づることゝなッて了ふ。陶菴の此の言を為したる真意 は知るよしもないが、或は、我が儒者往々皮相の観を為して 他学に愚弄せらるゝを戒めんが為ではなかッたか。

    (一)李習之、名は、唐の人、文章当時に推さる。李文集   あり。 (二)明の儒者、王陽明に私淑す。 (三)文字の儒とは詞章文辞の末に拘泥して、儒教の高遠なる   真義を解せざる人を言ふ。 (四)玄悟の浮屠、浮屠とは仏のこと、此処では仏教を信ずる   禅師を指す。玄悟とは深遠なる哲理を悟れるをいふ。 (五)学庸とは大学と中庸のこと。慎独とは、深く己が心中を   反省して、以て本然の性を自覚するに至らば、其の人の生   活が外面的皮相的ならずして、内部的徹底的になるといふ   にある。慎独の真意は簡単には言ひあらはし難い。


『洗心洞箚記』
(本文)その99














寔(まこと)
 


『通俗洗心洞箚記』目次/その55/その57

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