Я[大塩の乱 資料館]Я
2015.2.27

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『通俗洗心洞箚記』
その55

大塩中斎著 下中芳岳(1878-1961)訳

内外出版協会 1913

◇禁転載◇

上巻 (51) 五一 無過の地に立て

管理人註

呂新吾先生曰。 「在上者無過、 在下者多過。 非上者之無 過、有過而人莫 敢言。在下者 非多過、誣之 而人莫敢弁。」 オモフ 吾意。在下者、 非過、而猶 見誣如此。况真 有過悪則必不 免矣。故在下君 子、不 心以立無過之地 也。

   ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○   ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○あやまち○ ○ ○ ○   ○ ○  『世間では斯ういふ。上にあるものには過がなくて、下に ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○   ○ ○ ○ ○   ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ あるものには過が多いと。けれども、上にあるものに必ずし ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○   ○ ○ ○ ○ ○ ○   ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ も過が無い訳ではなくて、過があッても、敢てそれを言ふも ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○   ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ のが無いからである。又下にあるもの必ずしも過が多い訳で ○ ○ ○  ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○   ○ ○ ○ は無い。時に無実の罪を被せられることがあッても、敢てそ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○       (一) れを弁ずるものが無いからである。』とは呂新吾先生の言で          わし    ・・・・・・・・・・・・ ある。それに就いて吾は思ふ。下にあるもの必ずしも過が多 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ からずとも、無実の罪を強いらるゝことすらある。まして、                  とがめ 過があれば、悪事を犯せば、必ず其の咎を免るゝことが出来 ぬ。されば、下にあるの君子は、常に此の点に心を用ひて、 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 無過の地に立たんことを努めなければならぬ。

    此は恐らく、何か事に触れて、中斎自ら痛切に感じたことか あッて、斯く言ッたに違ひない。たゞ彼自ら最後まで無過の 地に立ち得なんだことを憾みとする。 (一)呂新吾のこと前に言へり。


『洗心洞箚記』
(本文)その94




























『通俗洗心洞箚記』
その36
 


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