Я[大塩の乱 資料館]Я
2015.3.2

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『通俗洗心洞箚記』
その58

大塩中斎著 下中芳岳(1878-1961)訳

内外出版協会 1913

◇禁転載◇

上巻 (54) 五四 これ実に大教訓

管理人註

孟子曰。「為人 臣者、懐利以事 其君、為人子者、 懐利以事其父、 為人弟者、懐利 以事其兄、是君 臣父子兄弟、終去 仁義、懐利以相 接、然而不亡者未 之有也。」世之為 臣子弟者、不 之耶。又曰。「為 人臣者、懐仁義 以事其君、為人 子者、懐仁義以 事其父、為人弟 者、懐仁義以事 其兄、是君臣父子 兄弟、去利、懐 仁義以相接也、然 而不王者、未之 有也。」世之為 臣子弟者、似之 耶。而為臣子弟 者之或懐利、或 懐仁義、是孰主 張之耶。果天乎。 抑人乎。人則不於聖道、而為 臣子弟者、安得彼入此也哉。 然而孟子之言、臣 子弟之鍼也。

                   なつか  孟子は言ッた。『人臣にして、一に利を懐しんで其の君に 事ふるならば、人子にして、一に利を懐しんで其の父に事ふ るならば、人弟にして、一に利を懐しんで其の兄に事ふるな らば、其は正しく、君臣、父子、兄弟、終に仁義を去ッて、 一に利を懐しんで相接するもの、斯の如き臣、子、弟を有す る国にして、亡国の悲運に陥らざるもの、未だ曾て一も有ッ ためし た例がない。』と。あゝ今の我が国の臣、子、弟たるもの、 此処に孟子が言ふ所のそれにさも似て居りはせぬか。                   ひとへ  孟子は又言ッて居る。『人臣にして、偏に仁義を懐んで其 の君に事ふるならば、人子にして偏に仁義を懐んで其の父に 事ふるならば、人弟にして偏に仁義を懐んで其の兄に事ふる       まさ ならば、其は正しく、君臣、父子、兄弟、利を去り、仁義を 懐しんで相接するもの、斯の如き臣、子、弟を有する国にし て、天下泰平の幸運に遇はざるもの、未だ曾て一も有ッた例 が無い。』と。あゝ、今の我が国の臣、子、弟たるもの、此 処に孟子が言ふ所のそれに果して似て居るかどうか、恐らく 似ては居るまい。  而も人臣たり、人子たり、人弟たるものにして、或る者は                      だれ 利を懐しみ、或る者は仁義を懐しむ、そも此は孰が主張によッ          (一) て斯くあらしむか。果して天か。抑も亦人か。若し人なりと        のつと すれば、聖道に法らずして人臣たり人子たり人弟たるもの、 いかで 安か一に利を懐しむ人欲より出でゝ、仁義を懐しむの境に達 することが出来ようぞ。して見れば、孟子の言や、寔に人臣、                        (二)いましめ 人子、人弟たるものに自己反省を促すべき痛烈なる 鍼 で ある。

                         (一)「果して天か」の天、「抑も亦人か」の人は頗る               意味が深い。此処で天といふのは、吾々人間が何と   思うてもどうすることも出来ない、必至の傾向、即                     ち自然力」を指すであり、此処で人といふのは、人   間の思ふ通りになる部分、即ち自由意思の支配下に   あることを指すのである。だから、倫理学上の言葉   で言へば、「人が或は利に走り、或は義に赴くとい   ふのは、これ必然か自由か、恐らくは自由であらう。   自由であるとするならば、之に道徳教育を施して義   に就かしむるやう努力する必要がある」といふこと   になる。而して中斎は、今日の言葉で言へば、大体   に於て意志自由を承認した人、教育の可能を力説し   た人であるといッてよい。 (二)鍼などで病を治することから、心の偏向を矯正す   るに転用したのである。即ちよき教訓の意義である。


『洗心洞箚記』
(本文)その101
















































寔(まこと)に
 


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