Я[大塩の乱 資料館]Я
2015.3.3

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『通俗洗心洞箚記』
その59

大塩中斎著 下中芳岳(1878-1961)訳

内外出版協会 1913

◇禁転載◇

上巻 (55) 五五 父と子

管理人註

父有争子、則身 不於不義、 故当不義。則子 不以不於 父。故為人父者、 不此 子也。有此子、 則躬為君子、無 此子、則自 上智、大凡陥於 夷狄禽獣必矣、 思之悚然。

                         人の父たる人にして若し直諫争ふを憚らざる子を有ッて居 さへすれば、自身、誤ッて不義に陥るやうなことは無い。従    ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○   ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ッて人の子たるものは、父の不義を敢てせんとするに際して ○   ○ ○ ○ ○   ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○   ○ ○ ○ は、直言直諫、どこまでも父と争はんければならぬ。されば ○   ○ ○ ○ ○ ○   ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ 又、父たる人は、此の如き直言憚らざる子を有たんことを願 ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○  はんければならぬ。中老以上の人にして、若し斯の如き子を 有するならば、その人は自然君子として生活を営み得る。け れども若し、斯の如き子を有せぬならば、其の人が余程の上 智でない限りは、大方は、不義を敢てし、私欲に溺れて夷狄       きま 禽獣に陥るに必ッて居る。危険なるかな、斯の如き争子を有                ぞ つ せざる人々の行く末。思うても悚然とするわい。

    中斎、自ら争子を有せざるに感ずる所ありて此の言を発 したのであらう。而も世の父たり子たるものを戒むるに 痛烈剴切の語たるを失はぬ。常人にありては、中老以後、 動もすれば世俗の悪風に慣れて不義を敢てして憚らざる に至ることあり、道徳堅固の人と雖も、中老以後に至り ては、動もすれば時世に後れ、為に甘言以て人に欺かれ て不義に陥ることあり、かゝる時に当ッて其の身を死後 に辱かしめざるを得るは一に争子のあるによる。


『洗心洞箚記』
(本文)その104
 


『通俗洗心洞箚記』目次/その58/その60

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