陸象山先生、嘗聞
皷声振動窓櫺、
亦豁然有覚、此
不道其所以覚。
然考其義、皷中
即虚、故其響徹窓
紙、窓紙振動。若
先有物塞其中、
即非虚。非虚則
無其響矣。安振
動窓櫺之有。先生
之覚、蓋在此歟。
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(一) ま ど
陸象山先生、嘗て皷声の窓櫺に振動するを聞いて豁然とし
て大悟徹底したと言ふ。しかし、何故、皷声の窓櫺に振動す
しる
ることに由ッて大悟し得たのか、其の理由は少しも道して無
わし 、・・・・・・
い。けれども吾は其に就いて斯う考へて居る。皷中は虚であ
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る。虚であるから其の響が窓紙に徹して、そこで窓紙の振動
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となるのである。若し先づ、皷中に物が塞ッてあッたならば、
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其の中は虚では無い。虚でないならば響は発ない。響が発な
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いならば、どうして窓櫺を振動さすることが出来よう。皷中
やが
の虚は即て太虚の虚、太虚の虚は即て皷中の虚、虚なればこ
そ内外相通ずる、人心亦是と同じく、虚に帰れば、そは即て
天、天は即て人心、内外こゝに於てか相通ずるが故に、万物
一如、先生の大悟せられたる、恐らくは此の点にあッたらう
と思ふ。
皷中の虚、何ぞ比喩の巧なる。何ぞ象徴の奇抜なる。
(一)陸象山は宋末の大儒、朱子と相拮抗して其の二
元論に反対し、心即理の一元論を唱道す。王陽明
の学説主として陸象山に出づ、陽明学を時に陸王
の学と称するは其の為なり。
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『洗心洞箚記』
(本文)その107
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