或問。「子嘗挙
谷神 為 説、則
取 老子 乎。」
曰。「先聖詢 蒭
蕘 。而況賢哲乎。
然賢哲之語、而
有 病則不 取、而
況蒭蕘乎。横渠先
生曰。「大率天之
為 徳、虚而善応。
其応非 思慮聡明
可 求。故謂 之
タトフル
神 。老子況 諸
谷 以 此。」然則
奚啻吾。横渠亦
云 爾。子猶疑
我乎。
|
あなた
或る人『君は嘗て老子の谷神を挙げて説を立てられたやう
あなた
に覚えて居るが、すると子は老子の学説を取らるゝか。』
○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○
予『先聖は樵夫野人にすら意見を求めたと言ふではないか。
わし ○
況して賢哲老子の言に聞く何の不可あらう。けれども予は賢
○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○
哲の語だからとて悉く妄信はし無い。若し其の語に欠点があ
わし
るならば、世道人心を害する所があるならば、吾は決して取
(一)わうきよ
らぬ。まして蒭蕘―樵夫野人―の言をやである。横渠先生は
およそ たくみ くはだて
言はれた。「大率、天の徳たる、何等の巧も企もない。種を
蒔けば生える、培へば育つ。其の間何等の偽りもない。而も
其はたゞ自然である、何等思慮聡明の求むべきものも無い。
大自然の力、之を神と謂ふ、何の不可かあらう。老子は、自
こだま
然の徳の虚にして善く応ずる所を谷の木精に響くに況へて以
て谷神と言ッたのである。」と。して見れば老子の見を取る
わし
者、必ずとも予ばかりでは無い。横渠先生も亦斯く其の言を
きみ わし
引用して居るではないか。それでも猶、子は吾を疑ふのか。』
其の人を見て、其の説を捨てざるの宏量、真にこれ至人
の風ありといふべきである。
(一)本名は張戴、字は子厚、宋の人、横渠先生とは其
の悟入の地名に因みて人の尊称せるもの、太虚の説
を唱ふ。中斎が帰太虚の説、此の横渠先生に出づと
言はる。
|
『洗心洞箚記』
(本文)その108
|