Я[大塩の乱 資料館]Я
2015.3.5

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『通俗洗心洞箚記』
その61

大塩中斎著 下中芳岳(1878-1961)訳

内外出版協会 1913

◇禁転載◇

上巻 (57) 五七 蒭堯の言にすら

管理人註

或問。「子嘗挙 谷神説、則 取老子乎。」 曰。「先聖詢蒭 蕘。而況賢哲乎。 然賢哲之語、而 有病則不取、而 況蒭蕘乎。横渠先 生曰。「大率天之 為徳、虚而善応。 其応非思慮聡明 可求。故謂之     タトフル。老子況諸 谷此。」然則 奚啻吾。横渠亦 云爾。子猶疑 我乎。

     あなた  或る人『君は嘗て老子の谷神を挙げて説を立てられたやう            あなた に覚えて居るが、すると子は老子の学説を取らるゝか。』     ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○  予『先聖は樵夫野人にすら意見を求めたと言ふではないか。                         わし  ○ 況して賢哲老子の言に聞く何の不可あらう。けれども予は賢 ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ 哲の語だからとて悉く妄信はし無い。若し其の語に欠点があ                      わし るならば、世道人心を害する所があるならば、吾は決して取                      (一)わうきよ らぬ。まして蒭蕘―樵夫野人―の言をやである。横渠先生は       およそ          たくみ くはだて 言はれた。「大率、天の徳たる、何等の巧も企もない。種を 蒔けば生える、培へば育つ。其の間何等の偽りもない。而も 其はたゞ自然である、何等思慮聡明の求むべきものも無い。 大自然の力、之を神と謂ふ、何の不可かあらう。老子は、自                  こだま 然の徳の虚にして善く応ずる所を谷の木精に響くに況へて以 て谷神と言ッたのである。」と。して見れば老子の見を取る       わし 者、必ずとも予ばかりでは無い。横渠先生も亦斯く其の言を                   きみ わし 引用して居るではないか。それでも猶、子は吾を疑ふのか。』

    其の人を見て、其の説を捨てざるの宏量、真にこれ至人 の風ありといふべきである。 (一)本名は張戴、字は子厚、宋の人、横渠先生とは其   の悟入の地名に因みて人の尊称せるもの、太虚の説   を唱ふ。中斎が帰太虚の説、此の横渠先生に出づと   言はる。


『洗心洞箚記』
(本文)その108
 


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