水性本寒矣。火
在其下、則沸
沸然化為湯了。
当其時水雖
有、寒絶無也。
人性本善矣。物
誘其外、則
然化為悪了。
当其時人雖存、
善或無也。然去
其火、則寒復依
然。拒其物、則
モシ
善亦現在。如去
火不早、則焦枯
而水与性倶滅矣。
拒物不厳、則壊
乱而人与性倶凶
矣。是当然之理也。
吾輩宜用不失
性之工夫也已矣。
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つめ ふつふつ
寒たいのが水の本性である。火が其の下にあれば、沸沸と
な
して湯と化ッて了ふ。一旦、湯となッて了へば、水は全く其
すこし
の本性を失ッて些も寒たくなくなる。
人の本性も本来は善である。けれども、物あッて之を外に
(一)きぐるひ
誘へば、して悪く化ッて了ふ。一旦、悪くなッて了へば、
人は全く其の本性を失ッて些も善い所を見ることが出来なく
なる。
けれども、今、沸き騰ッて居る湯の下の火を去れば、やが
さ つめ かへ あし
ては、冷めて、本の寒たさに復る。人も、物に誘はれて悪く
なッて居るのだから、其の物を取除いて了へば、其の本性た
る善い性質が自づと現はれてくる。けれども、湯の下の火を
いつまでも其の儘にしておいて、早くそれを去らなんだなら
な
ば、湯は器に焦げついて、水も水の本性も倶に滅くなッて了
ふ。人に於ても、外物の誘惑を拒むこと厳重ならぬならば、
そこな
終には、壊乱して、人も人の本性も倶に凶はれて了ふ。是れ
寔に当然の理である。故に吾輩、茲に意を用ひて、人の本性
を失はぬ工夫をするが肝要である。
習慣は第二の天性である。故に一たび、習慣づければ、
善であれ、悪であれ、固定して改まらない。而して善
ならば、かゝる習慣の益々堅固ならんことを要する。
が、悪ならば、其の傾向の固定せぬ間に除かんければ
ならぬ。
(一)は狂である。然は、狂ひ狂ひて行く処を
知らぬ意。
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『洗心洞箚記』
(本文)その122
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