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2015.3.20

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『通俗洗心洞箚記』
その70

大塩中斎著 下中芳岳(1878-1961)訳

内外出版協会 1913

◇禁転載◇

上巻 (66) 六五 道の行はれざる所以(2)

管理人註

「不中行而与 之、必也狂狷乎。狂 者進取、狷者有為」也。又曰。 「郷原徳之賊也。」 孟子曰。「孔子不中道而与之、 必也狂乎。狂者進 取、者有 為也。孔子豈不 中道哉。不必 得。故思其次」也。 又曰。「孔子曰、過 我門而不我室、 我不憾焉者、其唯 郷原乎。郷原徳之賊 也。」而詳述其所 以為、与其 所以為郷原 眼見彼此相反之状 態也。嗟乎、当春 秋時、孰非閹然媚 於世哉。孰非乎流俗乎汚 世哉。孰非 之似忠信、行之 似廉潔哉。孰 非徳者哉。而 曰古之人古之人、 是誰歟。凉凉、 是誰歟。然則狂狷 鮮乎晨星矣、而 郷原即天下滔滔皆 是也耳。孔子開道 立教、特取其鮮 乎晨星之狂狷、 而不其室 者、天下滔滔之郷 原也。宜乎当時受 其教者之寥蓼焉。 吾亦奚疑哉。鳴呼、 道之所貴在此矣。 道之所行亦在 此也夫。

                   くみ  『完全円満なる人格―中行―を得て之と与し得ぬならば、         (二) 我は寧ろ―必也―狂者か狷者かに与せんかな。何となれば、 狂者は進んで善道を取り、狷者は節を守りて汚れたる行為を 為さぬ故に。』と。又言はれた。                (三)  『時俗に合して人に媚ぶる彼の郷原は徳に似て徳では無い。 否寧ろ徳の賊である』と。孟子は是に附加へて言ッた。  『孔子は、中道の人を得て之と与みし得ぬならば、吾は、 多少偏りはするが、進んで善を取らんとする狂者か、節を守 りて世俗の汚行を敢てせざる狷者かに与すると言はれたが、 此は孔子が中道の人を得たいは得たいが、とても左様に完全 な人格を見出し得ないから、仕方なしに其の次位の狂、を 挙げられたのであらう』と。又言ッた。  『孔子は言はれた。我が門前を過ぎて、我が室に入らぬも                  ・・ のゝあるを頗る遺憾に思ふ。が、たゞ郷原のみは、我が門前 を過ぎて我が室に入り来らんでも、少しも遺憾には思はない と。郷原は、孔子自ら別な処に言ッて居られるやうに、つま り、徳の賊だからである。』と。かくて孟子は、以下多くの        ・・       ・・ 例を以て、其の狂たる所以と及び郷原たる所以とを頗る詳 しく説明して、狂と郷原との相反する状態を眼に見えるや うに明瞭に挙示して居る。  あゝ観じ来れば、かの春秋の時に当ッて、孰か孟子の所謂 『閹然として世に媚ぶるもの』で無かッたらうか。孰か孟子 の所謂『流俗に同じて汚世に合するもの』で無かッたらうか。 孰か孟子の所謂『之に居る忠信に似、之を行ふ廉潔に似たる もの』で無かッたらうか。孰か孟子の所謂『徳を乱るもの』 でなかッたであらうか。実に殆ど総てが孟子の謂ふ所のもの                            であッたのである。而して孟子の『古の人、古の人、行、何    (四)説明欠 すれぞ凉々たる。』と言へる、是れ誰を指したか。言ふ までもなく春秋当時の人を指したに違ひない。して見れば、    ● ●      あかつきのほし              ● ● 所謂狂狷は世に 晨 星 のそれの如く鮮なく、而も所謂郷原は 天下滔々として皆然らざるなしであッたことがわかる。  孔子の道を開き教を立てらるゝに当ッて、特に、其の晨星 よりも鮮なき狂狷を取られた。而して其の室に入るを願はれ なんだ郷原は滔々として天下に充満して居た。さてこそ、当            すくな        うなづ 時其の教を受くるものゝ寥蓼かッたも道理と首肯かれる。 わし 予は、今はもう、其の教を受くるものゝ少なきを不審に思ひ も疑ひもしない。あゝ道の貴いのは此の点に存するのだ。道 の容易に行はれぬのも亦此の点に存するのだ。

    (二)狂狷―狂は志高くして無検束に理想に進み入ら   うとする人、狷は慎みて悪事は行はぬ人の称。狷   の字、孟子にはの字を用ひあれど、意は全く同   じである。 (三)郷原―原は愿に作る、謹厚の意。一郷の人の称   して謹厚の人となすものゝ称。論語に郷愿は徳の   賊なりとある。世俗に媚ぶるが故に真実の徳ある   ものを反ッて攻撃する故、斯く言ッたのである。 


『洗心洞箚記』
(本文)その123
 


『通俗洗心洞箚記』目次/その69/その71

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