「不 得 中行 而与
之、必也狂狷乎。狂
者進取、狷者有 所
不 為」也。又曰。
「郷原徳之賊也。」
孟子曰。「孔子不
得 中道 而与 之、
必也狂 乎。狂者進
取、 者有 所 不
為也。孔子豈不 欲
中道 哉。不 可 必
得 。故思 其次 」也。
又曰。「孔子曰、過
我門 而不 入 我室 、
我不 憾焉者、其唯
郷原乎。郷原徳之賊
也。」而詳 述其所
以為 狂 、与 其
所 以為 郷原 如
眼見 彼此相反之状
態 也。嗟乎、当 春
秋時 、孰非 閹然媚
於世 者 哉。孰非
同 乎流俗 合 乎汚
世 者 哉。孰非 居
之似 忠信 、行 之
似 廉潔 者 哉。孰
非 乱 徳者 哉。而
曰 古之人古之人 、
是誰歟。 凉凉、
是誰歟。然則狂狷
鮮 乎晨星 矣、而
郷原即天下滔滔皆
是也耳。孔子開 道
立 教、特取 其鮮
乎晨星 之狂狷 、
而不 願 入 其室
者、天下滔滔之郷
原也。宜乎当時受
其教 者之寥蓼焉。
吾亦奚疑哉。鳴呼、
道之所 貴在 此矣。
道之所 不 行亦在
此也夫。
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くみ
『完全円満なる人格―中行―を得て之と与し得ぬならば、
(二)
我は寧ろ―必也―狂者か狷者かに与せんかな。何となれば、
狂者は進んで善道を取り、狷者は節を守りて汚れたる行為を
為さぬ故に。』と。又言はれた。
(三)
『時俗に合して人に媚ぶる彼の郷原は徳に似て徳では無い。
否寧ろ徳の賊である』と。孟子は是に附加へて言ッた。
『孔子は、中道の人を得て之と与みし得ぬならば、吾は、
多少偏りはするが、進んで善を取らんとする狂者か、節を守
りて世俗の汚行を敢てせざる狷者かに与すると言はれたが、
此は孔子が中道の人を得たいは得たいが、とても左様に完全
な人格を見出し得ないから、仕方なしに其の次位の狂、 を
挙げられたのであらう』と。又言ッた。
『孔子は言はれた。我が門前を過ぎて、我が室に入らぬも
・・
のゝあるを頗る遺憾に思ふ。が、たゞ郷原のみは、我が門前
を過ぎて我が室に入り来らんでも、少しも遺憾には思はない
と。郷原は、孔子自ら別な処に言ッて居られるやうに、つま
り、徳の賊だからである。』と。かくて孟子は、以下多くの
・・ ・・
例を以て、其の狂 たる所以と及び郷原たる所以とを頗る詳
しく説明して、狂 と郷原との相反する状態を眼に見えるや
うに明瞭に挙示して居る。
あゝ観じ来れば、かの春秋の時に当ッて、孰か孟子の所謂
『閹然として世に媚ぶるもの』で無かッたらうか。孰か孟子
の所謂『流俗に同じて汚世に合するもの』で無かッたらうか。
孰か孟子の所謂『之に居る忠信に似、之を行ふ廉潔に似たる
もの』で無かッたらうか。孰か孟子の所謂『徳を乱るもの』
でなかッたであらうか。実に殆ど総てが孟子の謂ふ所のもの
であッたのである。而して孟子の『古の人、古の人、行、何
(四)説明欠
すれぞ 凉々たる。』と言へる、是れ誰を指したか。言ふ
までもなく春秋当時の人を指したに違ひない。して見れば、
● ● あかつきのほし ● ●
所謂狂狷は世に 晨 星 のそれの如く鮮なく、而も所謂郷原は
天下滔々として皆然らざるなしであッたことがわかる。
孔子の道を開き教を立てらるゝに当ッて、特に、其の晨星
よりも鮮なき狂狷を取られた。而して其の室に入るを願はれ
なんだ郷原は滔々として天下に充満して居た。さてこそ、当
すくな うなづ
時其の教を受くるものゝ寥蓼かッたも道理と首肯かれる。
わし
予は、今はもう、其の教を受くるものゝ少なきを不審に思ひ
も疑ひもしない。あゝ道の貴いのは此の点に存するのだ。道
の容易に行はれぬのも亦此の点に存するのだ。
(二)狂狷―狂は志高くして無検束に理想に進み入ら
うとする人、狷は慎みて悪事は行はぬ人の称。狷
の字、孟子には の字を用ひあれど、意は全く同
じである。
(三)郷原―原は愿に作る、謹厚の意。一郷の人の称
して謹厚の人となすものゝ称。論語に郷愿は徳の
賊なりとある。世俗に媚ぶるが故に真実の徳ある
ものを反ッて攻撃する故、斯く言ッたのである。
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『洗心洞箚記』
(本文)その123
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