虚於内者、誤堕
水、則皆浮而不。
此非特虫豸禽獣、
雖人亦然。然人則
而不浮而死焉、
十人而十人、百人
而百人、曾無有一
活者何也。此無他。
其堕水、即起欲
生悪死之念甚乎
彼、而其念既塞乎
方寸。故方寸実而
非虚。況振手動
脚、破咽号乎。
而不浮而死焉、
以此也。如無其念
与其動叫、則必浮
而不而活矣。是
天理也。又奚異哉。
或曰。「裸則如
子言有或然者。
衣裳而堕焉、則如
何。」曰。「心存
誠敬而帰乎太虚
之人、則雖数万仭
之海底、徐解其
帯、脱其衣裳、
是無難矣。」鳴呼、
此独堕水時之術而
已哉。
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内の虚なるものは、誤ッて水に堕ちても皆浮んで沈まない。
むしけらとりけもの
此は必ずしも虫豸禽獣ばかりでは無い。人でも矢張同じこと
である。然るに人は一旦沈めば浮ばないで死ぬ。死んで始め
て浮ぶ。十人が十人、百人が百人、皆さうである。曾て一人
の活きて浮み上ッたものゝないのは何故であらうか。此れ何
も他の理由あッて然るのでは無い。人が水に堕ちると、誰で
も先づ、生を欲し、死を悪むの念慮が頭に浮ぶ。虫豸禽獣で
も、全く其の心が起らぬ訳では無いが、人は、それ等に比べ
むねのうち
て著しく其の念慮が強い。従ッて其の念慮が方寸に一ぱいに
塞ッて了ふ。さうなれば方寸は思ひに満ちて決して虚でなく
さ け
なる。まして、手を振り、脚を動かし、咽を破ッて号ぶ、
どうして沈まずに居らう。沈んだまゝ浮ばないで死んで了ふ
も
のは此が為である。如し其の念慮と其の動叫とさへ無いなら
ば、一旦は沈んでもやがては浮んで再び沈まないで生きるこ
とが出来る。此は実に天理である、決して間違ふことは無い。
或る人は、此を聞いて言ふ。
はだか あなた きものきた
『裸ならば、子の言の通りかも知れぬが、衣裳まゝで堕
ちたらばどうであらう。』と予は言ッた。
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『心配に及ばぬ。心、真に誠敬を存して太虚に帰りたるの
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人ならんには、たとひ、数万仭の海底に在ッても、徐に其の
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帯を解き、其の衣裳を脱する何の難きことがあらう。』と。
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斯く言ふは是れ、実に必ずしも水に堕つる時の術のみでは
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無い。静に此の意を味ひ来らば、太虚の真意をも悟り得るに
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至るであらう。
是れ真に太虚の真義を物に籍りて説明せんとしたるも
の、読者願はくは物理的に此の文を解剖するの愚を学
ばざれ。而して精神的比喩として、霊的象徴として味
へ。
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『洗心洞箚記』
(本文)その126
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