Я[大塩の乱 資料館]Я
2015.3.22

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『通俗洗心洞箚記』
その72

大塩中斎著 下中芳岳(1878-1961)訳

内外出版協会 1913

◇禁転載◇

上巻 (68) 六七 水に堕ちて沈まぬ術あり

管理人註

於内者、誤堕 水、則皆浮而不。 此非特虫豸禽獣、 雖人亦然。然人則 而不浮而死焉、 十人而十人、百人 而百人、曾無一 活者何也。此無他。 其堕水、即起 生悪死之念乎 彼、而其念既塞乎 方寸。故方寸実而 非虚。況振手動 脚、破号乎。 而不浮而死焉、 以此也。如無其念 与其動叫、則必浮 而不而活矣。是 天理也。又奚異哉。 或曰。「裸則如 子言或然者。 衣裳而堕焉、則如 何。」曰。「心存 誠敬而帰乎太虚 之人、則雖数万仭 之海底、徐解其 帯、脱其衣裳、 是無難矣。」鳴呼、 此独堕水時之術而 已哉。

 内の虚なるものは、誤ッて水に堕ちても皆浮んで沈まない。       むしけらとりけもの 此は必ずしも虫豸禽獣ばかりでは無い。人でも矢張同じこと である。然るに人は一旦沈めば浮ばないで死ぬ。死んで始め て浮ぶ。十人が十人、百人が百人、皆さうである。曾て一人 の活きて浮み上ッたものゝないのは何故であらうか。此れ何 も他の理由あッて然るのでは無い。人が水に堕ちると、誰で も先づ、生を欲し、死を悪むの念慮が頭に浮ぶ。虫豸禽獣で も、全く其の心が起らぬ訳では無いが、人は、それ等に比べ                     むねのうち て著しく其の念慮が強い。従ッて其の念慮が方寸に一ぱいに 塞ッて了ふ。さうなれば方寸は思ひに満ちて決して虚でなく                         さ け なる。まして、手を振り、脚を動かし、咽を破ッて号ぶ、 どうして沈まずに居らう。沈んだまゝ浮ばないで死んで了ふ           のは此が為である。如し其の念慮と其の動叫とさへ無いなら ば、一旦は沈んでもやがては浮んで再び沈まないで生きるこ とが出来る。此は実に天理である、決して間違ふことは無い。 或る人は、此を聞いて言ふ。   はだか        あなた           きものきた  『裸ならば、子の言の通りかも知れぬが、衣裳まゝで堕 ちたらばどうであらう。』と予は言ッた。    ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎  ◎   ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎  『心配に及ばぬ。心、真に誠敬を存して太虚に帰りたるの ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎  ◎ ◎ ◎   ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎   ◎ ◎ ◎ ◎ 人ならんには、たとひ、数万仭の海底に在ッても、徐に其の ◎ ◎ ◎ ◎   ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ 帯を解き、其の衣裳を脱する何の難きことがあらう。』と。  ・・・・・・・ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・  斯く言ふは是れ、実に必ずしも水に堕つる時の術のみでは ・・ ・・・・・・・・・・・ ・・・・・・・・・・・・ 無い。静に此の意を味ひ来らば、太虚の真意をも悟り得るに ・・・・・・ 至るであらう。

    是れ真に太虚の真義を物に籍りて説明せんとしたるも の、読者願はくは物理的に此の文を解剖するの愚を学 ばざれ。而して精神的比喩として、霊的象徴として味 へ。


『洗心洞箚記』
(本文)その126
 


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