Я[大塩の乱 資料館]Я
2015.3.23

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『通俗洗心洞箚記』
その73

大塩中斎著 下中芳岳(1878-1961)訳

内外出版協会 1913

◇禁転載◇

上巻 (69) 六八 何ぞ爾く憤怒する

管理人註

狷忿、 動鬱心而悪人。 予告之曰。「子 廉而謹取予、不諛言以媚人。 子心能知否。」曰。 「能知。」是乃子 与流俗人相反処、 子心亦能知否。」 曰。「能知。」「而 子有妬心、時竊発、 不之乎。」曰。 「有焉。故不知。」「子有 寵辱、与避禍 福之心、子不 之乎。」曰。「有焉、 故亦不知。」 「是即流俗人、与子 相同処、子亦不 之乎。」曰。「安得知哉。」然則畢 竟子与流俗人相反、 乃其跡耳。而心則無 殊別矣。又何非彼 是我、然怒為。

 予の知人に狷忿に類する性質の人があり、動もすれば心鬱 して人を悪む風がある。   きみ  『子は極めて廉直な人だ。常に取予を謹みて、故なきに人                   へつらひ より物を受くるが如きことをせぬ。又、諛を言ッて人に媚びた ことも無い。子は、此の事を能く意識して居るか。どうか。』 と予は言ッた。すると其の人は、  『能くそれは知ッて居ます。』といふ。で予は、  『さうか。しかし、是は、予が流俗の人々と相反する点なの だが、それも知ッて居るか。』  『それも能く知ッてゐます。』  『処が子には又、常に一種の妬心がある、それが満腔の不平 となッて、時に窃に発することがあるが、子はそれを知らぬか。』  『実際そんなことがあります。知らぬとは謂へませぬ。』  『子には又、寵辱に驚く心と禍福を趨避する心とがあるが、       し ら 子はそれを自覚ぬか。』  『実際それがあります。知らぬと言ふことが出来ませぬ。』  『ところで、此の二つの点は、流俗の人と子と相同じき処 だが、子はそれを承知か。』           どうし  『承知してゐます。安て知らぬと謂はれませう。』        つゞまるところ  『して見れば、畢竟、子と流俗の人と相反する処は、たゞ        かたち                 外面に現はれた形跡の上ばかりである。心の中は、何も別に ことな 殊ッた点を見出さない。だから何も、彼等流俗の人々を非と         (一)いきどほろしく し、我を是として、然、怒る必要もないではないか。』

    ● ● ● ● ● ●   ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● 世は皆濁れり、我独り清めりとして自ら高うし而も世 ● ● ● ● ● ● ●   ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● に慷慨するの人、此の文を読みて如何の感かある。 (一)然―孟子に「然として其の面を見る」       もと   とあり。很り怒る貌。


『洗心洞箚記』
(本文)その127

狷忿
(けんぷん)
心が狭くて、
おこりっぽい

悪(にく)む
 


『通俗洗心洞箚記』目次/その72/その74

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