Я[大塩の乱 資料館]Я
2015.3.24

玄関へ

「大塩の乱関係論文集」目次
「大塩の乱関係史料集」目次


『通俗洗心洞箚記』
その74

大塩中斎著 下中芳岳(1878-1961)訳

内外出版協会 1913

◇禁転載◇

上巻 (70) 六九 常人、聖賢を知らず(1)

管理人註

程朱在当時、不於奸人陳公 輔、何若王淮陳賈 等之讒毀誣妄、而 曲学偽学之禁、至諭於天下、何 其悖罔之極乎。然 而天定、則讒毀逞 志一時者、皆虫滅 草亡、而程朱之学、 与天地日月、争 悠久光明、不亦 大矣乎。史臣甞論 程学之禁曰。「大 抵聖賢之道、不 於当時、而行於後 世者、理勢然也。 高宗但知孔孟、 而不伊川、 非理勢乎。正使 孔孟在当時、亦 不於高宗、 夫何怪哉。」史臣 嘗又論朱学之禁 曰。「王淮以唐仲 友之故、深怨朱 子、欲謀沮之。 由是陳賈鄙夫、趨 順風旨、上章詆毀、 厚誣聖賢。鳴呼、 以道学詭異、 其欺天罔人、莫 此為尤。自是道学 之名、貽禍於世矣。 雖然天之未斯 文、匡人其如予何。 吾道如青天白日、 大明於世、一二狗 哉。」史 臣之論弁、可明 快痛切無余蘊矣。 然奸人以曲学偽学殺之、何故也。 吾請以一言其 由

 程朱や朱子やは、偉大なる人格だッたが、其の当時にあッ ては、奸人陳公輔や何若王や淮陳賈等の讒毀誣妄を免るゝこ とが出来なんだ。而して、其の説く所の学説は、曲学である、 偽学である、故に之を聞き之を奉ずるの徒は、国法を以て罰                           ぼつ するとの禁令が詔諭を以て天下に発表せられた。何といふ悖 り          も ぎ だう 理、何という罔義道のことであらう。実に不法、暴令の極で はないか。  けれども、正しきものに最後の勝利がある。一たび、天定ッ                 さき て、新時代の曙光を仰ぐに至ッて、向に正善なるものを讒毀 して、以て志を一時に逞しうしたる徒輩は、皆虫と滅び草と 亡びた。と同時に程朱の学は世に現はれた。そして天下を風 靡した。天地日月と共に悠久に其の光明を争ふことゝなッた。 正しいものゝ力も又偉大では無いか。    さるししん  甞て某史臣が、程学の禁を論じて斯う言ッて居る。 『大抵聖賢の道といふものは、其の当時に行はれないで、後 世に至ッて行はれるものである。此は理勢の然らしむる所亦 已むを得ない。高宗皇帝は、たゞ、孔孟の尊ぶべきを知ッて、 程伊川の尊ぶべきを知らなかッた、是れ正しく理勢の然らし むるものではないか。孔孟と雖も、若し、当時に生在して居 たならば、高宗皇帝の尊敬を受けなんだに違ひない。観じ来 れば、程学の禁、又必ずしも怪しむに足らぬ。』と。  史臣は又、嘗て朱学の禁を論じて斯う言ッて居る。   (一)     仲?  『王淮は唐中友に対する関係上、深く朱子を怨んで居た。 ど う 如何かして之を沮害しようと思ッて居た。処が、鄙夫陳賈は、 己が非行に対する攻撃を避けんが為に朱子を除かうと思ッて 居る折柄であッたので、順風の帆、渡りに船と、直ちに王淮                      そし きづつ の申し出でを利用して書を上り、荐りに朱子を詆り毀け、延 いては盛に聖賢を攻撃し、道学を以て危険思想だと貶した。           あざむ          とが 此れ実に天を欺き人を罔き而も自己を尤めざるものである。 のみならず此の事あッて以来、道学の名目に一汚点をつけ、 禍を後世に貽し、斯学を喜ばざるものゝ口実を作ることゝなッ                   きやうじん た。けれども、天の斯文を喪はしめざる匡人それ予を如何せ んやである。吾が道は青天白日の如く大に世に明に、到底、    いぬころども そしる 一二、狗輩の謗の為に其の光を失ふやうなことは無い。』 と。    以上、史臣の論弁する所、明快痛切、真に余蘊なしである。 けれども、かの奸人輩が、程朱の学を以て、曲学となし、偽 学と称して之を抹殺し去らうとした動機は何れにあるか、是      わし に就いて、予は一言、其の根本的理由を弁じておかうと思ふ。


『洗心洞箚記』
(本文)その133


讒毀
(ざんき)
告げ口すること

誣妄
(ふぼう)
作りごとを言っ
て人をそしるこ
と

悖理
(はいり)
道理にもとる
こと

































(一)の説明なし











荐(しき)り



















余蘊
(ようん)
あますところ


『通俗洗心洞箚記』目次/その73/その75

「大塩の乱関係史料集」目次
「大塩の乱関係論文集」目次

玄関へ