Я[大塩の乱 資料館]Я
2015.3.25

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『通俗洗心洞箚記』
その75

大塩中斎著 下中芳岳(1878-1961)訳

内外出版協会 1913

◇禁転載◇

上巻 (71) 六九 常人、聖賢を知らず(2)

管理人註

夫聖賢言行、大反 俗情矣。俗情者何、 盗跖所云是也耳。 其言曰。「人之情、 目欲色、耳欲声、口欲味、 気欲盈。人上寿百 歳、中寿八十、下寿 六十、除病痩死喪 憂患、其中開口而 笑者一月之中不 四五日而已矣。天 与地無窮、人死者 有時、操時之 具、而託於無窮之 間、忽然無騏 驥之過隙也。不其志意、養 其寿命者、皆非道者也。丘之 所言、皆吾之所棄 也。」此雖荘子之 寓言、今古貴賤上 下之所心口相期者、 不斯数語也。 而聖賢之道則反之。 非礼勿視聴言動、 而志気常収乎内以 不放、雖病痩 死喪憂患之中、以 皆尽其心道矣。 而未嘗為是累 也。而常人開口而 笑者、莫淫戯放 逸之事也。聖賢遭 之則決不笑。却有攅眉、以憂愁悲 哀者多矣。

 聖賢の言行といふものは、総じて大に俗情に反するもので ある。然らば、俗情とは何か。盗跖の言ふ所がそれである。    △ △ △ △ △ △ △ △ △ △ △   △ △ △ △ △ △ △ △ △ △ △ △  『目は色を見んことを願ふ。耳は声を聞かんことを願ふ。 △ △ △ △ △ △ △ △ △ △ △ △   △ △ △ △ △ △ △ △ △ △   △ △ △ 口は味を察せんことを願ふ。気は盈ちんことを願ふ。是れ実 △ △ △ △ △ △ △ △ △ △   △ △ △ △ △ △ △ △ △ △ △ △ △ △ △ △ に万人共通の情である。人は最も長寿の人でも百歳を超ゆる △ △ △ △ △ △ △   △ △ △ △ △ △ △   △ △ △ △ △ △ △ △ △ △ △ ことは殆ど無い。次いでは八十歳、最も多きは六十歳であら △   △ △ △ △ △ △ △ △ △ △   △ △ △ △  やつ △ △ △   △ △ △ △ う。而も其の中の大部分は、病んだり、痩れたり、家族に死 △ △ △ △ △   △ △ △ △ △ △   △ △ △ △ △ △ △ △おもひわづら△ △ △ に別れたり、物を喪ッたり、はた様々のことを 憂患 ッたり △ △ △ △ △ △よろこび △ △ △ △ △   △ △ △ △ △ △ △ △ △ △ △ △ △ して居る生の歓楽を味ッたり、口を開いて笑ッて天を楽むが △ △ △   △ △ △ △   △ △ △ △ △ △ △ △ △ △ △   △ △ △ △ △ △ 如きは、一月の中、僅に四五日しかあるまい。天地は無窮で △ △ △   △ △ △ △ △ △ △ △ △ △ △ △ △ △   △ △ △ △ △ △ △ △ あるが、人は時が来れば死なねばならぬ。時が来れば死なね △ △ △ △ △ △ △ △ △ △ △ △ △ △ △ △ △ △ △   △ △ △ △ △ △ △ ばならぬ此の身を無窮の天地に託して居る、人の一生は実に △ △ △ △ △ △ △ △ △   △ △ △ △ △ △ △ △ △ △   △ △ △ △ △ △ 果敢ないものである。無窮の天地に比ぶれば、人の一生の如 △ △   △ △ △ △ △ ひかげ △ △ △すきま △ △ △ △ △ △ △ △ △ △ △ △ △ きは、忽然として騏驥が戸の隙を過ぎ去るにも喩へつべきで △ △   △ △ △ △ △ △ △ △ △ △ △ △ △ △   △ △ △ △ △ △ △ △ △ ある。かの精神の修養ばかりを説いて、其の寿命を養ひ得ぬ △ △   △ △ △ △ △ △ △ △ △ △ △ △ △   △ △ △   △ △ △ △ △ △ 輩は、皆人情に通ぜざるものである。されば、孔子の言ふ所 △ △ △ △   △ △ △ △ △ △ △ △ △ △ △ △ △ △ の如きは、皆吾が棄てゝ顧みざる所である。』と。固より此 は、荘子が、盗跖の心事は斯うでもあらうとて寓言したので はあるが、道を修せざる古今の貴賤、上下が、心口相期する 所、皆亦此の数語の外には出でぬ。而も聖賢の道は全く之に 反するのである。   ○ ○かな ○ ○ ○   ○ ○ ○   ○ ○ ○   ○ ○ ○   ○ ○ ○   ○ ○ ○  礼に合はねば、視るな、聴くな、言ふな、動くな。志気は ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○   ○ ○ ○   ○ ○   ○ ○   ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ 常に内に収めて放つな。たとひ、病痩、死喪、憂患の中にあッ ○ ○   ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○   ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ても、猶ほ出来る限りの心を尽せといふ。是が聖賢の道であ ○   ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○   ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ る。而も真の道を得たる人にあッては、決して道を行ふこと ○ ○ ○ ○ ○ ○   ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○   ○ ○   ○ ○   ○ を苦にしない。喜んで道を行ふものである。故に、仮令、病 ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○   ○ ○ ○ ○ ○ ○わづら○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ 苦の中にあッても、其が為に心を累はさるゝやうなことは無 ○   ○ ○ ○ ○   ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○   ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ い。けれども、常人の笑ふ場合には、聖賢の笑はぬことがあ ○   ○ ○ ○ ○ ○   ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○   ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ る。何となれば、常人の口を開いて笑ふは、淫戯放逸の事な ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○  ○ ○ ○ ○ ○   ○ ○   ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ らぬは無いからである。聖賢にして、若し、其の場に居合は ○ ○ ○   ○ ○ ○ ○ ○ ○   ○ ○かほをしか○  まゆをひそ ○ ○  ○ ○ う れ ○  すれば、笑ふどころか、却て蹙め、攅眉めて、以て憂愁ひ かなし ○ ○ ○ ○ ○ ○ 悲哀むに違ひない。


『洗心洞箚記』
(本文)その133




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