Я[大塩の乱 資料館]Я
2015.3.26

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『通俗洗心洞箚記』
その76

大塩中斎著 下中芳岳(1878-1961)訳

内外出版協会 1913

◇禁転載◇

上巻 (72) 六九 常人、聖賢を知らず(3)

管理人註

常人視天地無 窮、視吾為暫。 故以欲於血気 壮時務而已。 而聖賢則不独視 天地無窮、視 吾亦以為天地。故 不身之死、而 恨心之死矣。心不 死、則与天地無 窮。是故以一日 百年、心凛乎如 深淵、不須臾放失 也。故又嘗不物 移志、不欲引 寿、要去人欲天 理而已矣。彼則去 天理人欲也。去 天理人欲、是乃 常人之所期、則去人 欲天理之教、安 得其耳与心哉。 彼以耳与心、自 揣之、則以聖賢之教、 必為人情。為 人情、則其勢吾曲与偽也。 此乃曲学偽学之名、所 由起也歟。吁、非曲 而為曲、非偽而為偽、 曲而為曲、偽而為偽、理欲倒置、是非 逆為、豈非悲哉。

  ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎   ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎   ◎ ◎ ◎   ◎  聖賢と常人と、斯様に違ッた生活を営むのは、何故か、思 ◎ ◎   ◎ ◎ た ち ば ◎ ◎ ◎ ちが ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎   ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ふに、其の立脚地が全く異ふからであらう。常人は天地を以 ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎   ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ て無窮だと思ひ、自分を以て暫く此の世に存在するに過ぎぬ ◎ ◎ ◎   ◎ ◎ ◎   ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ とする。それ故、欲を血気の壮時に於て逞しうするのを務だ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎   ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎   ◎ ◎ と心得ざるを得なくなるのである。聖賢は其の反対に、天地 ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎   ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ を以て無窮だと考へるのみならず、自分をも天地と同じに見 ◎   ◎ ◎   ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎   ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎   ◎ ◎ ◎   ◎ る。故に、身の死を恨まず、たゞ心の死を恨む。たとひ、身 ◎ ◎ ◎ ◎ ◎   ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎   ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ は死すとも、心だに死せずば、天地と共に無窮を争ふものと ◎ ◎ ◎   ◎ ◎ ◎ ◎   ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎   ◎   ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ 信ずる。此の故に、一日を以て百年と為し、心、凛乎として ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎   ◎ ◎ ひきし ◎ ◎  しばらく ◎ ◎ ◎ ◎ ◎   ◎ ◎ ◎   深淵に臨むが如く、常に緊張めて、須臾も放たない。心を緊 ◎ ◎ ◎ ◎ ◎   ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎   ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎やう 張めて居て、須臾も放たぬが故に、物の為に心を奪はるゝ如 ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎   ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ なこともなく、物欲を満足せんが為に寿命の長からんことを ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎   つゞめ ◎ ◎ ◎ ◎   ◎ ◎ ◎ ねが ◎ ◎ ◎   ◎ ◎ 願ふやうなこともない。要約て言へば、聖賢の欲ふ所は、たゞ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎   ◎ ◎ ◎   ◎ ◎ ◎ 人欲の私を去ッて天理の公を存するにある。然るに、常人に ◎ ◎ ◎   ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎   ◎ ◎ 於ては、丁度其の反対に天理を去ッて人欲を存しよう。霊的 ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎   ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎   ◎ ◎ 生命を捨てゝ物質的生命のみを保全しようとする。霊的生命 ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎   ◎ ◎ ◎ を捨てゝ物質的生命のみを保全しようとするが故に、人欲即 ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ち物質的生命を捨てゝ天理即ち霊的生命を存しようとする聖 ◎ ◎ ◎ ◎ ◎   ◎ ◎ ◎ ◎ ◎   ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ 賢の教義が、どうしても、耳と心とに逆はざるを得ないので ◎ ◎ ある。   ● ● ● ● ●   ● ● ● ● ● ● ●   ● ● ● ● ● ● ● ● ●   ● ●  更に常人は、自己の耳に逆ひ、心に逆ふの故を以て、自己 ● ● ● ● ● ● ● ● ● おしはか ●   ● ● ● ● ●     ● ● ● ● ●   ● の感情を尺度に他を 揣 り、而して思ふ。「聖賢の教は、人 ● ● ● ● ● ● ● ● ● ●   ●   ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● 情を矯むるものである」と。人情を矯むるもと思ふが故に、 ● ●    ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ●   ● ●   ● ● ● ● ● 勢ひ、「聖賢亦人情を有するに違ひない。而も、敢て人欲を ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ●  ● ● ● ● ●   ● ● ● ● ● ● ● 去ッて天理を存せんといふは、此は恐らく、自己の本心を曲 ●   ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ●     ● ● ● ● ● ● げ、自己の本心を偽ッて居るものであらう。」と考へざるを ● ● ● ● ●   ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ゆえん ● ● ● ● ● 得なくなる。此れ乃ち曲学偽学の名の起る所以であらうか。   ● ● ● ● ● ● ● ● ●   ● ● ● ● ● ● ● ● ●   ● ● ● ● ● ●  曲ならぬを曲と思ひ、偽ならぬを偽と思ひ、曲を曲ならず ● ● ●   ● ● ● ● ● ● ● ● ●   ● ● ● ●   ● ● ● ●   ● ● ● と思ひ、偽を偽ならずと思ふ、理欲倒置、是非逆為、あゝ是 ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● 何たる悲しむべきことであらう。


『洗心洞箚記』
(本文)その133


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