Я[大塩の乱 資料館]Я
2015.4.1

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『通俗洗心洞箚記』
その78

大塩中斎著 下中芳岳(1878-1961)訳

内外出版協会 1913

◇禁転載◇

上巻 (74) 七〇 理想と実際との調和

管理人註

陳眉公曰。「以太 虚体、以利済用、斯人也天乎。」 誠哉是言也。故利済 不乎太虚、則 管商之政也。太虚而 無利済、則仏老之 道也。如偏於一、 則非大学明徳親民 之学矣。故吾人宜眼於明体適用之 全美也已矣。

 (一)  陳眉公は言ッた。  『太虚を以て体と為し、利済を以て用と為す、斯の人や天       こゝろ か』と。謂ふ意は、公平無私の精神を以て、世を利し民を済                 ひと ふ人であるなら、其の人は天と徳を同しうする人であるとい ふのである。実際其の通りである。  だから、利済は太虚から出んければならぬ。若し太虚から 出ぬ利済ならば、それは管子商子の政である。又、太虚の心 があッても、利済の方面を欠いたならば、それは仏老虚無の 道であッて、実際生活と何の交渉もなくなッてしまふ。  もし  如、太虚―理想方面―、利済―実際方面―、何れの一方に              しる        (二) 偏しても、其はかの、大学に道された所の明徳親民の学では 無い。  されば、吾人は、常に体を明にし用を適切にする、即ち理 想と現実と、動機と結果と、人格と事業とを統一、調和、全 美ならしむることに著眼せんければならぬ。

    (一)陳眉公―名は継儒、字は仲醇、眉公は其の号、明   の人頴悟、菫其昌と名を斉しうした。年二十九、感   ずる所あッて崑山に隠れた。経史百家に通じ、智略   あり、然諾を重んじた。宝顔堂秘笈は其の編輯にかゝ   る。                      あらた (二)大学の道は明徳を明にするにあり、民を親にする   にあり、至善に止まるにあり、とは大学首章の句、   而して「明徳を明にする」はこゝに言ふ「体を明に   する」に相当し、「民を親にする」はこゝにいふ   「用を適切にする」に相応し、「至善に止まる」は   こゝにいふ両方面を調和全美ならしむるに相応する。


『洗心洞箚記』
(本文)その138

 


『通俗洗心洞箚記』目次/その77/その79

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