儒釈之弁、於 其精
也。陽明先生之説尽
矣。而載 於伝習録
*
吾党之学人常覧 観
之 。故略焉。於 其
粗 也、張南軒先生
詳論明晰莫 加焉。
今録 其語 。曰。
「酒之為 物、以奉
祭祀 供 賓客 、此
即天之降 命也。而
人以 酒之故 、至
於失 徳喪 身、即
天之降 威也。釈氏
本悪 天之降 威者 、
乃併 与 天之降 命
者 去 之。吾儒則
不 然。去 其降 威
者 而已。降 威者
去、而降 命者自在。
如 飲食而至 於暴
殄天物 、釈氏悪
之、必欲 食 蔬茹 、
吾儒則不 至 於暴
殄 而已。衣服而至
於窮 極奢侈 、釈氏
悪 之、必欲 衣 壊
色之装 。吾儒則去
其奢侈 而已。至 於
悪 淫慝 而絶 夫婦 。
吾儒則去 其淫慝 而
已。釈氏本悪 人欲 、
併 与 天理之公者
去 之。吾儒去 人欲 、
所 謂天理者照然矣。
譬如 水焉。釈氏悪
其泥沙之濁 、而窒
之以 土。不 知 土能
窒、則無 水可 飲矣。
吾儒則不 然。澄 其
泥沙 、而水之清者
可 酌。此儒釈之分
也」。朱子嘆 服之 。
是故儒者去 降 威者
之工不 著実 、而不
察 釈氏悪 之之原 、
只漫以 異端 貶 釈
氏 、則釈氏必目 儒
以 穢濁 。是以聖経
賢伝、字字句句、以
只去 人欲 之事 告
後人 焉耳。後人忽
之何哉。*
|
儒と釈との弁は其の精細なる点に於て陽明先生の説で十分
明になッている。これ以上言ふ必要は無い。が其の説は、伝
習録に載ッて居るから、吾が党の学人は常に之を観て既に承
知のこと故、更めて此処に録することは止めよう。しかし、
ざつ (一)
一通り粗と儒と釈との区別を弁じたものでは、張南軒先生の
詳論明晰なるに過ぎた説はない。で此処には其の語を録して
置かうと思ふ。
『酒に就いて考へて見ると、酒は神を祀ッたり、賓客に供
したりするには極めて必要なものである。されば、酒を以て
斯様なる用に供する場合には、酒は天の命を降したものとし
て考ふべきである。何となれば、斯かる場合には、酒は人生
に幸福を齎し来るものだからである。けれども、人若し、酒
の為に徳を失ひ身を喪ふに至る場合には、酒は天の威を降し
たものとして考ふべきである。何となれば、斯かる場合には、
酒は人生に不幸を齎し来るからである。斯く酒には人生に幸
福を与ふる方面と不幸を与ふる方面との二方面がある。即ち、
「天の命を降すもの」として考ふべき方面と「天の威を降す
もの」として考ふべき方面とがある。此の事は酒に就いて言
たと
ひうるばかりでない、何に就いても言ひ得る。さて、此の比
へ もと
喩を拠として考ふるに、釈は、本来、天の威を降すもの、即
ち人生に不幸を齎し来るものを悪む、此の点は善い。けれど
も、其の之を悪むの余り、天の命を降すもの、即ち人生に幸
福を齎し来るものをも併せて之を去らうとする、此の点が賛
成し兼ぬる所である。吾が儒に於てはさうではない。たゞ、
其の威を降すもの、即ち不幸を齎し来るものを去るのみであ
る。かくて威を降す、即ち不幸を齎し来るものさへ除き去れ
ば、其の命を降すもの、即ち人生に幸を齎し来るものは依然
残ることゝなるのである。是を他に例に依ッて比較すれば、
しひた
一、釈は、人の飲食をの求めて徒に天物を暴殄ぐるに至る
を悪むの余り、全く肉食を禁じて疏茹をのみ食しようと
する。吾が儒は、たゞ徒に天物を暴殄ぐるに至らぬもの
である。
一、儒は、人の衣服を求めて徒らに奢侈の窮極に赴かんこ
とを悪むの余り、一切壊色の衣を著ようとする。吾が儒
は、たゞ其の奢侈を去るのみである。
一、釈は人の淫匿を悪むの余り、妻帯を禁じ、夫婦の関係
を絶たうとする。吾が儒は、たゞ其の淫匿を去るのみで
ある。
一、釈は、人欲の私を悪むの余り、天理の公をも併せ去ら
うとする。吾が儒はたゞ、人欲を去ッて、天理は益々照
然たらしめんとするのである。
更に之を水に譬へることが出来る。釈は、其の泥沙の濁れ
う
るを悪むの余り、土を以て水を窒めてしまはうとする、而も
水を窒めるに土を以てすれば、其の飲むべき水の無くなッて
しま
了ふことを知らぬ。吾が儒はさうでは無い。たゞその泥沙の
す
澄まんことを求める。清めば乃ち酌むべきである。曾て濁り
居たればとて、何の其の総てを捨つる必要があらうぞ。此は
是れ、釈と儒との異なる所である』と。朱子も此の説には嘆
服したといふ。
此の故に、若し儒者にして、天の威を降すものを去るの工
も と
夫著実ならず、釈の之を悪む原因を深く研究もせずして、漫
に異端の一語を以て釈を貶するあらば、釈も亦必ず其の「威
を降すものを去るの工夫の著実ならざる」点に於て、儒を目
するに穢濁を以てするであらう。此の故に、聖経の経伝、其
の後人に教ふる所は、字字句句、天理を存して人欲を去るに
あらぬは無い。然るを、後人の此の点を忽にするとは何とも
心得難き次第ではないか。
(一)張南軒、一名は拭、字は敬夫、宋の人、朱子の友
人、自ら古聖賢を以て任じた人。南軒易説等の著あ
り。
|
『洗心洞箚記』
(本文)その140
*
「党」の字脱
齎(もたら)し
疏茹(そじょ)
忽(ゆるがせ)
*
原文では
「故吾輩晩年・・」
と続く
|