好読 史者、遵 明道
程子之説 以治 之、
則当 益 于身心 、
而不 誤 己、又不
誤 人也。初学如泛
観博究史類 、則壊
了心術 必矣。然勢
不 可 禁也。故莫
如 使 之専読 其忠
孝旌徳及烈女伝 、
閲 一伝 猶忽有 動
良心 流 涕泣 者 焉。
然則必復有 慕 其忠
孝義烈 之願萌 於内 、
而愧 其貞操高節 之
情攻 乎心 者 也。況
読 之以 数伝 、積
之以 歳月 、乃与 彼
一、与 性融、忠孝之
変、倫常之艱、万一
逼 于身 、則憤然尽
心于君父国家 、而不
譲 美于前脩 、則不
独顕 其徳于世 、其
益 于国家 、何可 勝
算 也哉。学者不 存
心乎茲 、棄 置忠義
烈女伝等于度外 、只
講 究其攻伐戦闘之成
敗、弑逆淫 之濁乱、
及鬼 之陥 正類 、
蛇蝎之毒 清流 、則
不 知 駸駸赴 為 不
善 之竅 、豈非 可
恐之甚 乎。故子弟慎
而守 我教 、則庶幾
免 於人面獣心之帰 。
不 為 然則質 之有道
之君子 。
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好んで史を読む者は、かの程明道が「一般史道を読まんよ
りは忠孝義烈の伝記を読むに如かず」との説に遵ッて修養す
よ
るが可い。さうすれば、身心を益して己を誤らず、又人をも
誤らぬであらう。初学者にして、若し、徒らに史類を泛観博
やぶ
究するならば、必ずや自己の心術を壊ッて了ふ。縦ひ、自分
では注意して居る積りであッても、勢ひ終に然らざるを得な
くなるのである。だから、余りに泛観博究するは、どうも可
くない。史を読むならば、先づ以て、忠孝、旌徳の書、又は
烈女の伝などを専門に読むが初学者には一番可い。単に一伝
なみだ
を閲してすら、猶ほ忽ち良心を動かし、涕泣を流すに至る。
而して、一たび良心を動かさば、必ずや復た其の忠孝義烈を
慕ふの願、内に萌し、而して其の貞操高節の情、心を攻むる
に至る。況して、之を読むに数伝を以てし、之を積むに歳月
を以てするなれば、それら、忠孝節義の人々を一にし、性を
ひとし
融うし、忠孝の変、、倫常の艱、万一、吾が身に逼り来るあ
るも、憤然として心を君父国家の為に尽し、而して義烈の美
の、前に修むる所の人々に譲らざるものあるに至るであらう。
然らば、独り其の徳を世に顕はすのみならず、同時に亦其の
国家を益する、実に勝げて算ふべからぬものがある。然るに、
学者、此の点に意を用ふるなく、忠義烈女の伝の如きを度外
に棄て置き、たゞ其の攻伐戦闘の成敗、弑逆淫 の濁乱及び
鬼 の正類を陥れ、蛇蝎の清流を毒する如き一般的史蹟のみ
あな
を講究して、知らず識らずの間に、不善を為すの竅に赴きつゝ
きはみ
あるを意識せぬに至る。是れ実に恐るべきの極ではないか。
されば、世の青年たるもの、我が教を守れ、然らば則ち人面
ち か
獣心の帰を免るゝに庶幾からう。而も猶ほ我が言ふ所を疑はゞ
更に之を有道の君子に質し見よ。
然り、此の言、青年修養上の好教訓。
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『洗心洞箚記』
(本文)その144
遵(したが)ッて
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