Я[大塩の乱 資料館]Я
2015.4.3

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『通俗洗心洞箚記』
その80

大塩中斎著 下中芳岳(1878-1961)訳

内外出版協会 1913

◇禁転載◇

上巻 (76) 七二 青年の読史に就いて

管理人註

好読史者、遵明道 程子之説以治之、 則当于身心、 而不己、又不人也。初学如泛 観博究史類、則壊 了心術必矣。然勢 不禁也。故莫使之専読其忠 孝旌徳及烈女伝、 閲一伝猶忽有 良心涕泣焉。 然則必復有其忠 孝義烈之願萌於内、 而愧其貞操高節之 情攻乎心也。況 読之以数伝、積 之以歳月、乃与彼 一、与性融、忠孝之 変、倫常之艱、万一 逼于身、則憤然尽 心于君父国家、而不美于前脩、則不 独顕其徳于世、其 益于国家、何可勝 算也哉。学者不 心乎茲、棄置忠義 烈女伝等于度外、只 講究其攻伐戦闘之成 敗、弑逆淫之濁乱、 及鬼之陥正類、 蛇蝎之毒清流、則 不駸駸赴不 善之竅、豈非 恐之甚乎。故子弟慎 而守我教、則庶幾 免於人面獣心之帰。 不然則質之有道 之君子

 好んで史を読む者は、かの程明道が「一般史道を読まんよ りは忠孝義烈の伝記を読むに如かず」との説に遵ッて修養す    るが可い。さうすれば、身心を益して己を誤らず、又人をも 誤らぬであらう。初学者にして、若し、徒らに史類を泛観博                 やぶ 究するならば、必ずや自己の心術を壊ッて了ふ。縦ひ、自分 では注意して居る積りであッても、勢ひ終に然らざるを得な くなるのである。だから、余りに泛観博究するは、どうも可 くない。史を読むならば、先づ以て、忠孝、旌徳の書、又は 烈女の伝などを専門に読むが初学者には一番可い。単に一伝                   なみだ を閲してすら、猶ほ忽ち良心を動かし、涕泣を流すに至る。 而して、一たび良心を動かさば、必ずや復た其の忠孝義烈を 慕ふの願、内に萌し、而して其の貞操高節の情、心を攻むる に至る。況して、之を読むに数伝を以てし、之を積むに歳月 を以てするなれば、それら、忠孝節義の人々を一にし、性を ひとし 融うし、忠孝の変、、倫常の艱、万一、吾が身に逼り来るあ るも、憤然として心を君父国家の為に尽し、而して義烈の美 の、前に修むる所の人々に譲らざるものあるに至るであらう。 然らば、独り其の徳を世に顕はすのみならず、同時に亦其の 国家を益する、実に勝げて算ふべからぬものがある。然るに、 学者、此の点に意を用ふるなく、忠義烈女の伝の如きを度外 に棄て置き、たゞ其の攻伐戦闘の成敗、弑逆淫の濁乱及び 鬼の正類を陥れ、蛇蝎の清流を毒する如き一般的史蹟のみ                       あな を講究して、知らず識らずの間に、不善を為すの竅に赴きつゝ                     きはみ あるを意識せぬに至る。是れ実に恐るべきの極ではないか。 されば、世の青年たるもの、我が教を守れ、然らば則ち人面           ち か 獣心の帰を免るゝに庶幾からう。而も猶ほ我が言ふ所を疑はゞ 更に之を有道の君子に質し見よ。

    然り、此の言、青年修養上の好教訓。


『洗心洞箚記』
(本文)その144

遵(したが)ッて
 


『通俗洗心洞箚記』目次/その79/その81

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