自 形而言、則
身裏 心、心在
身内 焉、自 道
而観、則心裏 身、
身在 心内 焉。
其謂 心在 身内
者、一遺 操存之
功 、則物累 我、
其覚 身在 心内
者、常得 超脱之
妙 、而我役 物。
役 物与 累 于物
之別、学者宜 知
之。
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つゝ
形より言へば、身は心を裏んで居て、心は身の内にあると
も見える。けれども、道より観れば、心は身を裏んで居て、
身は心の内にある。さて形より見て、心は身の内にあると思ッ
わす
て居る人達にして、一たび操存の功(精神修養)を遺るゝに
○ ○ ○ ○ ○とら ○ ○ ○ ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ●
至らば、外物の為に累はれて動もすれば物質の奴隷となる。
是に反して、道より観て、身の心の内にあるを覚れる人達は、
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物欲を超脱して、何等外物に累はれざる観自在の妙境にあり
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て、心は常に外物を支配する。世の学に志さんとするもの、
けじめ
先づ以て、此処の別、即ち「物を支配する」と「物に累は
るゝ」との別をよく弁へんければならぬ。
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『洗心洞箚記』
(本文)その5
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