Я[大塩の乱 資料館]Я
2015.4.4

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『通俗洗心洞箚記』
その81

大塩中斎著 下中芳岳(1878-1961)訳

内外出版協会 1913

◇禁転載◇

上巻 (77) 七三 六尺の男児、何の面目かある

管理人註

明史月娥伝、至 寇至城陥、月娥嘆曰。 「吾生詩礼家、可節於賊耶」。抱 幼女水死、未 嘗不巻以慨然流 涕也。剱佩冠裳、売 降恐後之徒、対是 冊子中娥眉、非 面目矣乎。吾賦詩 曰。『汚身不独河 間帰。天下男児多亦 然。月娥何者恥詩礼。 水上流尸顔尚妍。』

     わし      (一)  此の程、予は明史の月娥といふ婦人の伝を読んだ。其の、 寇軍の攻め寄せ来り、城の将に陥らんとするや、月娥は毅然 として嘆じて言ッた。『妾は詩礼の家に生れた。どうして節 を賊の為に失ふことが出来ようぞ。』と、幼女を抱き、水中 に躍り入ッて死んだと言ふ処に至ッて、予は、巻を掩うて以 て慨然として流涕せざるを得なんだ。かの剣を佩き冠を戴い た六尺の男子にして、節を売りて、をめ/\賊に降り、以て 僅に死を免れんとする徒輩、此の冊子中の一婦人に対して、 何の面目があるか。で、予は、感想を七絶に賦した。斯うで ある。      身を汚すは独り河間の婦のみにあらず。    天下の男子多くはまた然り。    月娥何者ぞ詩礼に恥づ。    水上の流尸顔尚ほ妍なり。

    (一)月娥は明の西域の人、亢武昌尹馬禄丁が女である。   諸兄の経史を学ぶを聞きて大義に通じ、長じて礼法   の師となる。長蘆といふ人、諸婦を集めて其の教   を受けしめた。明の太祖の江を渡り、偽漢の兵上游   より来るに及び、月娥諸婦を伴ひて難を太平城廓に   避く。幾くもなく城囲まれ、将に陥らんとするや、   吾は詩礼の家に生る、節を賊に失ふべからずとて、   幼女を抱きて水に赴いて死した。諸婦の相従ふもの   九人、七日の後、死屍上る。顔色生けるが如くあッ   た。郷人、巨穴を作りて合葬し、十女の墓と呼んだ。


『洗心洞箚記』
(本文)その145
 


『通俗洗心洞箚記』目次/その80/その82

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