読明史月娥伝、至
寇至城陥、月娥嘆曰。
「吾生詩礼家、可
失節於賊耶」。抱
幼女赴水死、未
嘗不掩巻以慨然流
涕也。剱佩冠裳、売
降恐後之徒、対是
冊子中娥眉、非無
面目矣乎。吾賦詩
曰。『汚身不独河
間帰。天下男児多亦
然。月娥何者恥詩礼。
水上流尸顔尚妍。』
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わし (一)
此の程、予は明史の月娥といふ婦人の伝を読んだ。其の、
寇軍の攻め寄せ来り、城の将に陥らんとするや、月娥は毅然
として嘆じて言ッた。『妾は詩礼の家に生れた。どうして節
を賊の為に失ふことが出来ようぞ。』と、幼女を抱き、水中
に躍り入ッて死んだと言ふ処に至ッて、予は、巻を掩うて以
て慨然として流涕せざるを得なんだ。かの剣を佩き冠を戴い
た六尺の男子にして、節を売りて、をめ/\賊に降り、以て
僅に死を免れんとする徒輩、此の冊子中の一婦人に対して、
何の面目があるか。で、予は、感想を七絶に賦した。斯うで
ある。
身を汚すは独り河間の婦のみにあらず。
天下の男子多くはまた然り。
月娥何者ぞ詩礼に恥づ。
水上の流尸顔尚ほ妍なり。
(一)月娥は明の西域の人、亢武昌尹馬禄丁が女である。
諸兄の経史を学ぶを聞きて大義に通じ、長じて礼法
の師となる。長蘆といふ人、諸婦を集めて其の教
を受けしめた。明の太祖の江を渡り、偽漢の兵上游
より来るに及び、月娥諸婦を伴ひて難を太平城廓に
避く。幾くもなく城囲まれ、将に陥らんとするや、
吾は詩礼の家に生る、節を賊に失ふべからずとて、
幼女を抱きて水に赴いて死した。諸婦の相従ふもの
九人、七日の後、死屍上る。顔色生けるが如くあッ
た。郷人、巨穴を作りて合葬し、十女の墓と呼んだ。
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『洗心洞箚記』
(本文)その145
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