自性善上行道来
者、不論高下精
粗、堯舜孔孟之血
脈也。自情欲上
為悪来者、不論
小大深浅、桀紂莽
操之苗裔也。外粧
ウチ
点仁義、而衷包蔵
功利、以道問学、
以従事世務者、便
是覇者之奴隷也。億
兆雖不可勝算、
人品要不出乎此三
等。吁、欲為人者、
択不行之、焉得知。
而閲史者、亦以之
観当時之人之心術行
事、則了了然。
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○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ (一)○
良心の声に聞いて道を行ふ者は、高下精粗に論なく、堯舜
○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○
孔孟の血脈である。情欲の赴くに任せて悪を犯すものは、小
○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ (二)○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ かゝ
大深浅に論なく、桀紂莽操の苗裔である。外、仁義を粧ひ点
○ うち ○ ○ ○ ○ ○ をさ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ い
げ、衷、功利を包み蔵めて、以て問学を道ひ、以て事に従ふ
○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○
者は、即ち是れ覇者の奴隷である。人間算ふるに勝へざる程
・・ ・・
多けれども、人品の要は此の三等の外に出ない。あゝ、人た
・・・・・・・・ (三)・・・・・・・・・ いか・・・・・・
らんと欲するもの、択んで之を行はざれば、焉でか此の三等
・・・・・・・・・・
の別あるを知り得よう、而して史を閲する者、亦之を標準と
あき
して当時の人の心術行事を観るならば、其の人物の真価は了
らか
然になるであらう。
(一)堯舜孔孟にて聖賢といふに同じ。
(二)桀、紂は悪王。莽は王莽、操は曹操、共に帝位を
簒奪したる反逆者。
(三)自らの志行を反省して、其の何れに当れるかを意
識せずばの意。即ち何等の自覚もなくして、習慣や
摸倣のみにて行為してゐてはの意。
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『洗心洞箚記』
(本文)その153
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