Я[大塩の乱 資料館]Я
2015.5.3

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『通俗洗心洞箚記』
その88

大塩中斎著 下中芳岳(1878-1961)訳

内外出版協会 1913

◇禁転載◇

下巻 (2)二 聖人は器の使なり

管理人註

刀拙乎切木、而 鋸巧乎切木。鋸 難乎殺人、而刀 易乎殺人。故器 各有於用。 不於用、則 雖利器猶如鈍。 是故聖人器使也。

         まづ   けれど           刀は木を切るには拙い。而も、鋸は木を切るには巧い。鋸          にく   けれど は人を殺すには殺し難い。而も、刀は人を殺すには殺し易い。 故に、器は各適する所が定ッて居る。若し適せぬ所に使へば、 利き物も、猶ほ鈍きものに及ばぬことがある。是の故に、聖   (一) 人は器の使である。それ\゛/の人材を弁別して、適当に適 材を置き用ふるの地位に立つ。而も聖人は器では無い。往く として可ならざるなき大人格である。

    (一)論語に「君子は器ならず」とある。器は使用さるゝ   ものである。器の使といふのは器を使用する人であ   るとの意。

『洗心洞箚記』
(本文)その161



 


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