Я[大塩の乱 資料館]Я
2015.5.11

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『通俗洗心洞箚記』
その93

大塩中斎著 下中芳岳(1878-1961)訳

内外出版協会 1913

◇禁転載◇

下巻 (7)七 理と時と勢と

管理人註

理与時与勢、皆上 之所為也。豈天云 乎哉。而漢文雖明 君、謙譲於大臣、 而不識者之言 益乎世。則使理 与時与勢全任于 天、而以不自任 者也。其治效与三 王同、蓋在此 矣。而以賢称乎 世、則亦猶如士 不於聖学、而 媚於世以無非刺也。故陸象山先 生謂之郷愿、是 非見。而世儒 驚其説之出于意 外、却貶先生 然立説。嗟夫、 是亦郷愿也哉。

 (一)              つく  理と時と勢とは皆上にある人君の為る所である。之をしも 天だと言ひて、長上者自身何等省みる所なきは宜しくない。 漢の文帝は明君ではあッたが、余りに大臣に対して謙譲に過 ぎて、識者の言の世を益するあるをすら用ひなかッた。斯の 如きは、理と時と勢とをして全く天に任せて、自ら為すある の力を信じなかッたものだと言はなくてはならぬ。文帝の明            (二) を以てして、其の治效の三王と同じからぬは主として此の点           に因由すると言ッて可からう。而も賢を以て世に称せられた るを以て、之に事ふるの士、多くは聖学に志すなく、徒らに 世に媚びて以て誠意なきものゝ如くであッた。されば陸象山 先生の之を郷愿と言ひたる、決して無定見ではなかッたので ある。文帝を以て賢明の主とのみ信じ居たる世の儒者、其の                    おと     や か ま し 説の余りに意外なるに驚いて、却て先生を貶しめ、然く も反対の説を立てたのである。あゝ此の如き儒者亦郷愿たる を失はぬ。

    (一)こゝの理は通俗の意味の理窟で、理気の理では無   い。 (二)三王は夏の禹王、商の湯、周の文王武王を指す。

『洗心洞箚記』
(本文)その168






















郷愿
(きょうげん)
 


『通俗洗心洞箚記』目次/その92/その94

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