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2015.5.16

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『通俗洗心洞箚記』
その98

大塩中斎著 下中芳岳(1878-1961)訳

内外出版協会 1913

◇禁転載◇

下巻 (12)一二 文の人、質の人

管理人註

質勝文者、雖 多聞多見、而良知不乎内。猶如石中 火、特未於用耳。 故曰。「野」。文勝質 者、嘗不良知而博 識意見、只馳於外、 猶如原火。既失 本体矣。故曰。「史。」 若夫従事精一執中之 学、則不良知 於内、而致之於事事 物物、発皆中節矣。 雖彬彬得乎。 故曰。「君子。」

(一) ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○   ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○  質の文に勝る人は、聞見の知は多からずとも、而も良知を ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○   ○ ○ ○(二)○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○  ○ 内に致して失はぬ。例へば石中の火のやうなものである。特 ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○   ○ ○ ○ ○ ○ ○   ○ ○ ○ に其の力を外に顕はしては居らぬが、必要となれば、何時で ○ ○ ○ ○ ○ あらは ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○   ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ も其の力を発揮すことが出来る。斯様な素朴で飾り気の無い ○ ○ ○ ○ ○ ○ 人を野といふ。   (三) ○ ○ ○ ○ ○ ○   ○ ○   ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○  文の質に勝る人は、畢竟、良知の心中に潜めることを自覚 ○ ○ ○ ○ ○ ○   ○ ○ ○ ○   ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○   ○ ○ せぬ人である。意見縦横、識見たとひ該博であッても、たゞ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○   ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○  ○ ○ ○ 外に馳するの一方で、一向に深さも奥行きも無い。例へば、 ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○   ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ 原を燬く火の如きものである。一時は花々しく賑はしくても、 ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ しま ○ ○   ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ 既に過ぎ去れば其の本体を失ッて了ッて、何等の力をも残さ ○ ○   ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ない。斯様な実意の無い皮相的虚飾的な人を史といふ。 (四) ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○   ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○   ○ ○ ○ ○  精一執中の学に従ふものは、良知を内に失はず、更に進ん ○   ○ ○ ○ ○   ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○   ○ ○ で、事事物物、其の良知の光に照して活動するが故に、其の ○ ○ ○ ○ ○ ○ あた ○ (五)○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ 言動悉く節に中る。彬々たらんことを欲せざるも而も彬々た ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○   ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ らざるを得ない。斯く内に存する力の外に発はるゝは質もあ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ り文もあるの君子である。

                            (一)見かけはさほどでなくても心根の立派な人―質は           内的精神、文は外的装飾。 (二)石は鑚れば火が出る、いつでも火が出るから、石   中の火といふ。 (三)言葉遣ひや身のこなし、さては衣服装飾などは立   派だが精神的生命の乏しい人。 (四)精一執中は儒教の根本原理である。「天一を得て   以て清、地一を得て以て寧、人一を得て以て貞、鬼   神一を得て以て霊、一の徳たる至」とあるが、精一。   「天の暦数爾が身にあり、允に其の中を執れ」とあ                       ○ ○ ○ ○   るが執中。こゝで、精一執中の学といへば聖賢の学   と同意義である。 (五)文と質と両つながら具はれる貌。

『洗心洞箚記』
(本文)その179
 


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