|
のぼ
何故か此大獄の張本人の名が上つて居らぬが、平八郎の文に魁首自刃
すとあるのを見ると、詰腹切らせて、其上の詮議に及ばず、跡目を立て
させるといふ仁計に出たもので、魁首の名前は公然の秘密に止めて置い
たものであらう。曾て加賀藩に廃立の議のあるや、忠臣高田善右衛門は
殿中に出仕し、其謀主中村万右衛門を面責して討果さんと罵つたけれど
もと
も、中村が臆病で立合はぬ為に、高田は一刀の下に彼を斬殺したが、何
かたはら
思ひけん、傍に在つた中村の佩刀を抜いて、死せる彼の手に握らせ、自
分も腹十文字に掻切つて果てた。其為に一旦両家は断絶したが、追つて
双方半禄宛で家名が立つた、即ち高田は憎む敵にも猶ほ大きい目から憐
憫を垂れ、武士の面目を立てさせてやつたのだといふが、平八郎の此糾
弾に、も斯うした遺意の含まれた情けある処置をしたものの様にいふ。
此自刃に及んだ魁首は、即ち西組与力地方役の弓削新右衛門といひ、
与力中の故老で、非丈の権力を有し、四ケ所の天満の作兵衛、鳶田の久
兵衛、千日の吉五郎と、外に新右衛門の妾の親、新町の妓楼八百新など
といふものとを手先に使ひ、僅の失行をも検察して脅迫する、誘惑する。
しよつちう
其手で初中終賄賂を取り、不浄財を貯へたもので、道路皆目を以て彼等
を送迎するといふ程であつた。四ケ所といふは、右の三ケ所の外に尚ほ
ちやうり
天王寺あり、併せて四ケ所の長吏をいふもので、略して単に四ケともい
いひ
ひ、其提灯の記号にはを描く。長吏とは非人の長吏の謂である。普通
非人乞食といへば、同じ者の様に考へる習慣になつて居るが、其実大な
る差別あり、乞食は戸籍に入らず、冠婚葬祭を尋ね歩いて、金銭や食物
を貰ひ廻るが、非人は長吏の戸口の籍に入つて居るので、金銭を貰ひ歩
くけれども、食物は貰はぬ、長吏は其長なので、穢多を支配せぬけれど
も、非人乞食を取締り、刑人の有る時には其雑務を司る、四ケ所には又
四ケ所若者といふ者があつて、与力同心の手先になつて働き、彼等が市
つ
中を廻る時には、其家僕の外に此徒四五人が跟いて歩く、其扮装は新し
い綿服に博多の帯を締め、若い者は着ぬけれども、老年者は其上に又一
お くろふさ
枚羽織を着る。黄鞘の脇差を佩びる外に、黒緒を巻いて柄として黒総を
垂れた十手様の鉄刀を右腰に一本帯用に及ぶ、罪人を馬上に載せて市中
また
引廻しといふ時にも多く此徒が従ふ。大阪の各町々の辻番には長吏の陪
も の まも
部下が居つて之を衛る。之を親方といつたといふ様な次第で、非人とい
つても其頭分になれば此の如く色々の職務を有し、下層階級には注目の
ま と
標的となり、仲々虎の威を駆る狐の威光を輝したもの、其外にも町人で、
今でいへば、刑事巡査の如き仕事をする「猿」といふ者も同心の下に駆
あご
使されて、与力のの動き方一つで何処へでも飛ぶ。与力は斯かる一面
に市の自治団体を代表する総年寄、年寄等と交渉を有し、而して其古狸
たるに於ては、上役町奉行の為に施政の御指南番といふ格で居る事は前
述した通なのだから、正に是れ上下の関節ともいふべき枢要の位置を占
そ
めて居る。是が抑も弓削新右衛門が久しく跋扈跳梁した所以で、衆寡の
勢、罷り間違へば彼等に如何様な乱暴狼籍奸策詭計が行はれるも知れぬ
といふ恐があるら是迄何人も一指を染めて居らぬ。之に一指を染める事
あたか
は宛も爐中の栗を探る様なものであつた。然るに此爐中の栗は到頭捨身
の平八郎にマンマと拾ひ出されて、魁首の自滅と共に与党尽く首を刑場
なら よろこび
に駢べた、此時の大阪市民の喜は如何ばかりであつたらうか。其贓三千
かく
両といへば、今に換算すれば約六万円になる。一与力の分際で斯迄の不
あまり
浄財を積む。良民の膏血の絞られ方は想像するに余あるべく、それを尽
く府庫に収めて、寄る辺なき独身者などの賑恤に用ひらるるに至つては、
蓋し大阪市民の一大快事であつたらうと思ふ。
|
幸田成友
『大塩平八郎』
その25
「浮世の有様
文政十二年
大塩の功業」
その1
幸田成友
『大塩平八郎』
その24
|