Я[大塩の乱 資料館]Я
2003.2.10訂正
2002.5.8

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大塩の乱関係史料集目次


『天 満 水 滸 伝』

その17

石原干城(出版)兎屋誠(発兌) 1885

◇禁転載◇

適宜、読点を入れ、改行しています。


○平山助次郎変心大事を訴ふ
    并密謀発覚の事

彼の大塩平八郎に荷担なしたる、同組の与力小泉淵次郎、瀬田済之助の両人ハ、十八日ハ泊番にて、幸ひ夜詰のことなれば、是と計略(はかりごと)を諜じ合せ、其翌二月十九日、山城守の巡見に出るを待て火を放ち、御役宅をば焼立んと、予て手筈をなし置けるに、爰(こゝ)に一味の者の内、同組の同心にて平山助次郎といへる者、

倩々(つら\/)往時を考へて、当時御治世の厚き徳化に随ハざる者あらざるに、我輩如き者どもの、申合せて事を成(なさ)んと企つるとも、成就し難し、是蟷螂(ちうらう)が斧を以て龍車に向ふの譬へ也、我、一旦悪意に組するとも、今本心に立帰り、此一大事を訴人せバ、罪を遁(のがれ)んも図られず

と、忽ち前非後悔して、十七日の夜、奉行なる跡部城州へ密訴に及び、山城守へ申やう、

大塩父子事、密謀を企て、是に一味の輩(ともがら)には当組小泉淵次郎、瀬田済之助、同心吉見次郎右衛門、渡辺良左衛門、近藤梶五郎、庄司儀左衛門、元組同心河合八右衛門、恐れながら某等、其外多人数一味なし、大胆にも事を企て、火矢大筒其外の兵具を用意仕り、又近在の百姓を語らひ、兼て仰出されたる、此十九日御両所様御巡見の其砌り、浅岡助之進方へ御休息あらせらるゝを窺ひて、不意に起りて御両所様を討取たる上、其挙に乗じ、大坂市中を焼払ひ申べし、との企てに、一味連判仕れど、熟々(よく\/)考へ見候に、是ぞ天下の動乱と、只今に至り心付、空怕(おそろ)しく存ずれば、此段御内々申し上、

と恐れ入てぞ言上るに、城州是を打聞れ、大きに驚き玉ひしが、容易ならざる事なりと、先助次郎をバ一間へ押込、翌十八日ハ御用日なれバ、西奉行なる堀伊賀守へ面会有りて、右の始末を密議に及バるゝと雖も、其虚実さへ相分らず、如何有んと評議ありしに、

去冬大坂の分限どもへ金銀米銭を出さしめ、困窮者を救ハせんと渠(かれ)上書せし事有も、我其言立を用ひざれバ、渠此事を憤り、貯へ置し書籍をバ残らず書肆へ売払ひ、其金を以て貧民共へ普(あまね)く施行なせし由、是等に就て考ふれバ、渠其行ひなきにしもあらず、国の大事を犯すの一條、豈助次郎が偽訴をなさんや、此儀中々忽(ゆるが)せにすべき事にハあらず、

とて、急ぎ両組より捕手を向ハせ、搦捕んと打合られ、先東組与力荻野勘左衛門、西組与力吉田勝右衛門、各々同心召連て、大塩父子を召捕様申付られける処、荻野勘左衛門憶しけるにや、

彼大塩平八郎事、斯容易ならざる企てをなす上からハ、己れにも其備へも又調へあらん、渠ハ頗る利人(きゝて)にて、其上ならず人望を得、常々内弟子門弟を集め、文を修め、武を講じ、其門に遊ぶ者数多あり、殊にハ明日大事をバ発せんものと計るものが、豈今日に備へなからん、
且火具をさへ用意し有とか、僅の人数を差向らるゝも却て人数を損するのみにて、所謂毛を吹、疵を求る悔有んも知べからず、
渠其虚に乗じ、大筒火矢にて御役宅を攻打なバ、何を以てか是を防がん、
(はた)助次郎が申す処を実(まこと)と信用いたし難く、渠万一大塩に深き遺恨のありて、斯様な取留ざる訴へをなすも計り難し、然ある時は不詮義ともなり、奉行の落度と人や嗤ハん、
因て何卒計略もて穏便の捕方願ひ度、今一応の御賢慮有て然るべし、

とぞ申けれバ、城州聞れて打点頭(うちうなづき)勝右衛門(勘左衛門?)が言條至極せりと心惑て、種々に評議し、西奉行へも其段を使者を以て申送られ、暫く見合られけるが、城州礑(はた)と心付れ、兎角を置て為事ありと、急ぎ書状を書認め、平山助次郎に是を持せて、江戸表なる御勘定奉行矢部駿河守方へ、此一條を通達に及バれける、

(さ)からに、助次郎ハ弥助太助と云る小者を二人召倶して、人々へハ、京都表へ御用にて、急き罷り越と言、また彼の密謀一味の者へハ、城州よりの御用にて、京都へ罷り越と雖も、然ある時にハ、明日の大事に間に合難けれバ、途中よりして取て返し、必ず働き申さんなりと、欺き置て、出立なし、道を急ぎて昼夜旅行し、東海道の今切の彼渡船場にて、大坂の騒動の由を伝へ聞、今ハ本心の助次郎ゆゑ、身の毛をよだて怕れしとぞ、

又大井川満水とて、二月廿八日の暮六ツ頃、漸く矢部駿河守の屋敷へ着しと、実に平山が反節微(なかり) せば、両町奉行の存亡計り知るべからず、

万一、両町奉行、大塩が為に命を殞(おと) すことに至らバ、大坂の動乱いふべからず、恐るべきのことゞもなり、

扨も城州にハ、此折柄彼是遅疑に及バれて長詮議にぞ成けるに、同十九日の暁き頃、同組同心九郎右衛門悴吉見英太郎、郷右衛門悴河合八十次郎、両人同道慌忙(あはたゞ)しく、証拠の書物を持参なし、堀伊賀守へ申出ける、

伊賀守是を見られ、斯る証拠の有上ハ、疑ふべきにあらずとて、打合せの通り、速かに捕方の手配りに及バれける、

茲に瀬田済之助、小泉淵次郎の両人ハ、泊り番にて当番所に詰合罷り在けれバ、跡部城州心付れ、家来武道善之助(武善之助)に申し付て、両人を我小座敷へ呼寄て、自ら実否を糺さんと致されけるに、両人ハ早くも是を覚りけん、次の間迄来て目配せし、逃出さんとする処を、家来の面々、兼てより用意をなして扣へ居しかバ、夫と見るより一同に押懸りて、両人を搦捕んと犇(ひしめ)けど、両人ハ最早遁れぬ処と覚悟なしての必死の働き、手に余れども、多勢に無勢、敵し難く、淵次郎ハ憐むべし、茶の間の隅へ追詰られて進退谷(きはま)り、十八歳を一期とし、終に爰にて大勢に巻詰られて討れけり、

又済之助ハ、此隙に、兼て案内知り置たる稲荷の社の傍(かたへ)なる塀を乗越、一目散、天満を指て迯帰り、大塩が宅へ駈込で、右の次第を告たりける、

平八郎ハ此を聞、噫天なる哉、命なる哉、一味の中に反り忠有て、事爰に到る上からハ、豈安閑として討手を待ん、先んずる時ハ人を制すと、斯なる上ハ、始終ハ兎も角、いで\゛/賊徒の愚臣等を討平げて、眠りを覚させ、目に物見せて呉んずと、急ぎ一味の者共を催促なして呼集め、其手配りをぞなしにける、


(商業資料)「大塩平八郎挙兵の顛末」その5
「浮世の有様 巻六 遠州稗原村村上庄司より来状の写」 その2
大坂東町奉行所図


『天満水滸伝』目次/その16 /その18

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