Я[大塩の乱 資料館]Я
2018.2.5

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「大塩の乱関係論文集」目次


『今古実録大塩平八郎伝記』

その15

栄泉社 1886

◇禁転載◇

 ○平山助次郎変心大事を訴ふ事
    并密謀発覚の事

管理人註
  

彼の大塩平八郎に荷担なしたる、同組の与力小泉淵次郎、瀬田済之助の両人                        はかりごと は、十八日は泊番にて、幸ひ夜詰の事なれば、是と計略を諜じ合せ、其翌二 月十九日、山城守の巡見に出るを待て火を放ち、御役宅をば焼立んと、予て           こゝ 手筈をなし置けるに、爰に一味の者の内、同組の同心にて平山助次郎といへ    つら/\ る者、倩々往時を考へて、当時御治世の厚き徳化に随はざる者あらざるに、 われ/\             なさ               たうらう 我輩如き者どもの、申合せて事を成んと企つるとも、成就し難し、是蟷螂が 斧を以て龍車に向ふの譬へなり、我一旦悪意に組するとも、今本心に立帰り、             のがれ 此一大事を訴人せば、罪を遁んも図られずと、忽ち前非後悔して、十七日の 夜、奉行なる跡部城州へ密訴に及び、山城守へ申やう、                  ともがら 大塩父子事、密謀を企て、是に一味の輩には、当組小泉淵次郎、瀬田済之助、 同心吉見次郎右衛門、渡辺良左衛門、近藤梶五郎、庄司儀左衛門、元組同心             それがし 河合八右衛門、恐れながら某等、其外多人数一味なし、大胆にも事を企て、 火矢大筒、其外の兵具を用意仕り、又近在の百姓を語らひ、兼て仰出された る、此十九日御両所様御巡見の其砌り、浅岡助之進方へ御休息あらせらるゝ を窺ひて、不意に起りて御両所様を討取たる上、其挙に乗じ、大坂市中を焼                    よく/\ 払ひ申べしとの企てに、一味連判仕れど、熟々考へ見候に、是ぞ天下の動乱            おそ               あぐ と、唯今に至り心付、空怕ろしく存ずれば、此段御内々申し上、 と恐れ入てぞ言上るに、城州是を打聞れ、大きに驚き給ひしが、容易ならざ る事なりと、先助次郎をば一間へ押込、翌十八日は御用日なれば、西奉行な る堀伊賀守へ面会有りて、右の始末を密議に及バるゝと雖も、其虚実さへ相 分らず、如何有んと評議ありしと、                              かれ 去冬大坂の分限どもへ金銀米銭を出さしめ、困窮者を救はせんと渠上書せし 事有も、我其言立を用ひざれば、渠此事を憤り、貯へ置し書籍をば残らず書                あまね 肆へ売払ひ、其金を以て貧民共へ普く施行なせし由、是等に就て考ふれば、 渠其行ひなきにしもあらず、国の大事を犯すの一條、豈助次郎が偽訴をなさ        ゆるが んや、此儀中々忽せにすべき事にはあらず、                      あはせ とて、急ぎ両組より捕手を向はせ、搦捕んと打合られ、先東組与力荻野勘左 衛門、西組与力吉田勝右衛門、各々同心召連て、大塩父子を召捕様申付られ ける処、荻野勘左衛門憶しけるにや、          かく 彼の大塩平八郎事、斯容易ならざる企てをなす上からは、己れにも其備へも            きゝて 又調へあらん、渠は頗る利人にて、其上ならず人望を得、常々内弟子門弟を                    あまた 集め、文を修め、武を講じ、其門に遊ぶ者夥多あり、殊には明日大事をば発 せんものと計るものが、豈今日に備へなからん、且火具をさへ用意し有とか、 僅の人数を差向らるゝも却て人数を損するのみにて、所謂毛を吹、疵を求る 悔有んも知べからず、渠其虚に乗じ、大筒火矢にて御役宅を攻打なば、何を          はた              まこと          も し 以てか是を防がん、将助次郎が申す処を実と信用いたし難く、渠万一大塩に                               ふかき遺恨のありて、斯様な取留ざる訴たへをなすも計り難し、然あるとき は不詮義ともなり、奉行の落度と人や笑はん、因て何卒計略もて穏便の捕方 願ひ度、今一応の御賢慮ありて然るべし、             うちうなづき とぞ申ければ、城州聞れて打点頭、勝右衛門が言條至極せりと心惑て、種々 に評議し、西奉行へも其段を使者を以て申送られ、暫く見合られけるが、城  はた          なすこと 州礑と心付れ、兎角を置て為事ありと、急ぎ書状を書認め、平山助次郎に是 を持せて、江戸表なる御勘定奉行矢部駿河守方へ、此一條を通達に及ばれけ る、 さる 然からに、助次郎は弥助太助といへる小者を二人召倶し、人々へは、京都表 へ御用にて、急き罷り越と言、また彼の密謀一味の者へは、城州よりの御用               にて、京都へ罷り越と雖も、然ある時には、明日の大事に間に合難ければ、 途中よりして取て返し、必らず働き申さんなりと欺き置て、出立なし、道を                   わたしば 急ぎて昼夜旅行し、東海道の今切の彼渡船場にて、大坂の騒動の由を伝へ聞、                   おそ 今は本心の助次郎ゆゑ、身の毛をよだて怕れしとぞ、 又大井川満水とて、二月廿八日の暮六ツ頃、漸く矢部駿河守の屋敷へ着しと、        なかり 実に平山が反節微せば、両町奉行の存亡計り知るべからず、                おと 万一、両町奉行、大塩が為に命を殞すことに至らば、大坂の動乱いふべから ず、恐るべきのことともなり、 扨も城州には、此折柄彼是遅疑に及ばれて、長詮議にぞ成けるに、同十九日 の暁き頃、同組同心九郎右衛門悴吉見英太郎、郷右衛門悴河合八十次郎、両    あわたゞ         かきもの 人同道慌忙しく証拠の書物を持参なし、堀伊賀守へ申出ける、伊賀守是を見 られ、斯る証拠の有上は、疑ふべきにあらずとて、打合せの通り、速かに捕 方の手配りに及ばれける、 茲に瀬田済之助、小泉淵次郎の両人は、泊り番にて当番所に詰合罷り在けれ ば、跡部城州心付れ、家来武道善之助に申し付て、両人を我小座敷へ呼寄て、 自ら実否を糺さんと致されけるに、両人は早くも是を覚りけん、次の間迄来 て目配せし、迯出さんとする処を、家来の面々、兼てより用意をなして扣へ                           ひしめ 居しかば、夫と見るより一同に押懸りて、両人を搦捕んと犇けど、両人は最 早遁れぬ処と覚悟なしての必死の働き、手に余れども多勢に無勢、敵し難く、     あはれむ 淵次郎は憐べし、茶の間の隅へ追詰られて進退極り、十八歳を一期とし、終 に爰にて大勢に巻詰られて討れけり、                       やしろ かたへ 又済之助は、此隙に、兼て案内知り置たる稲荷の社の傍なる塀を乗越、一目 散、天満を指て迯帰り、大塩が宅へ駈込で、右の次第を告たりける、               めい 平八郎は此を聞、噫天なる哉、命なる哉、一味の中に反り忠有て、事爰に至 る上からは、豈安閑として討手を待ん、先んずる時は人を制すと、斯なる上                      たひら は、始終は兎も角、いで/\賊徒の愚臣等を討平げて、眠りを覚させ、目に 物見せて呉んずと、急ぎ一味の者共を催促なして呼集め、其手配りをばなし にける、


『天満水滸伝』
その17

幸田成友
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武道善之助
武善之助
 


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