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あはれ あらはれ
爰に哀を留めしは、東組の御役宅にて密謀発覚、切殺されし彼の小泉淵次郎
いひなづけ さるかた
が留守には、母と淵次郎が言号ある十六歳の娘を、此頃然方より引取置しと、
ふたり もう
只両人最帰りもやと待居しが、俄に平八郎が居宅より火を放ちしに間もあら
せず、我家も忽ち焼しかば、物取敢ず其儘にて、小者一人を召連て迯出して、
さまよひあるく
所々方々彷徨歩行其うちも、我子が逆意に一味なし、昨夜敢なく殺されしと
いつも
は、夢にも知らず、女気に、是を力に奉行所の門前近く逃来りて、毎時の送
り迎ひの所へ小者に言付させけるは、既に我家は焼亡したれば、母子此処迄
逃来しなり、何れ知るべの方へ参り、落着心に有なれど、相談の上罷り越ん、
ちよつと
御用の隙も有ならば、鳥渡御門前迄出候へと、此旨心得、彼の小者は早速毎
かく
時の所に至り、斯と取次申通じ、何卒淵次郎に逢度由を申入ければ、心得て
かれら
取次は急ぎ其由を当番所へ申通じけるに、渠等は徒党の者の家類なれば、捨
置べき者にあらず、召捕べしと下知の下、ハツと心得来りし小者を捕へ置て、
こめ ふた
早速に人を出して両人の女を召捕、屋敷へ引入、取逃さぬ様籠置るれば、両
り
人の女は、今初めて淵次郎事も大塩に組したる事を爰に悟り、亦其身をも切
殺されしと聞より、両人は胆を消し、絶入ばかりに泣悲しみ、余所の見る目
も哀れなりしと、此両人の女の其始末は、東組与力淵次郎が同役、片山勝之
進当番にて、其日の事ども預り見しと、後人々に斯は語りき、
しだい
去程に、逆徒の輩は漸次に多人数となりけるにぞ、いざや二手に別れ押行ん
とて、此処より一方は、大井正一郎を以て人数を司どらしめ、東町筋へ押出
こめへい ともがら
して米平が輩を焼立しむ、
亦一方は、大塩平八郎是を司どり、船場に入て高麗橋筋へ打出、三井岩城等
ありさま
の店々を大筒火矢にて焼立し、其形勢はすさまじく、其黒煙天を覆ひ、恐ろ
いよ/\
しなんどいふ計りなく、逆徒等弥々向ふ者なきに、思ふ存分相働き、其乱妨
まこと みるもの
いはん方なし、実に是を見者ども恐れをなして、舌を巻、身の毛をよ立、慄
とはう
へ上り、十方に暮れて泣叫び、親を呼やら子を慕ふやら、其哀れなる有様は
何に譬ん様もなし、
きけ
筆者嘗て聞ることあり、鴻池善右衛門、善五郎の両家が、其富豪の名を天
よくしる
下に轟かせしは、誰々も能知ところなれど、然るも去年窮民共へ施しする
おへんら
の事に付て、大塩自ら是を説て、斯る難渋の折なれば、御辺等財を散して
うげがは
此節の饑寒を救ひ玉ふべし、と懇々勧めたりけれど、鴻池は肯ずして、
あて それのみなら
其後僅銭八百貫文を施行に充行なひしと聞えたりしが、加 之ず、米七万
にく
石を買〆し事を平八郎が探り聞たることなれば、是を悪むこと甚だしく、
やきほろぼ
故に第一鴻池を焼亡すべしと思ひ立、善右衛門、善五郎が両店を焼亡して、
残る所は土蔵僅に二戸前なりしと、
やきたゞれ たぐひ
鎮火後焼跡の灰を掻時、焼爛し金銀の類を、四斗桶にて持運ひしと、然れ
こと/゛\
ど銀は悉く土塊の如くなりつれど、金は焼爛るゝも其性を失はずとなん、
其外種々の珍宝器財残らず灰燼となりけるこそ惜むべきの事共なり、
又三井が店は数年来売買して積置し羅紗金襴は言に及ず、古物の品々数を
尽し、帳面蔵まで焼失ひ、土蔵は一ツも残さず焼落、金銀財宝烏有となり
いくばく
し、其高幾許といふを知らず、
つかれ
亦岩城の店は高麗橋際にて、逆徒此所に至りし頃は、頗ふる労を生じける
たなうち
にや、七八十人どや/\と彼の店内へ押込て、支度を出すべしと求めける
さすが しば
に、偵は岩城の店程有て、出来合の飯を出せしに、各々是を充分食し、暫
らく
時休足なし居れば、店の者共冷汗にて、如何あらんと気を揉けるが、程な
く一同出懸る時、食事をなせし返礼の心か、土蔵へ向ひて火を懸ず、見世
のみへ火矢を打懸て、皆々爰を立退たれば、岩城が店は無事なりしとぞ、
あへ
是も斯る中にては不思議の一ツと語り合り、
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『天満水滸伝』
その21
幸田成友
『大塩平八郎』
その131
米平
米屋平兵衛
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