Я[大塩の乱 資料館]Я
2018.2.10

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「大塩の乱関係論文集」目次


『今古実録大塩平八郎伝記』

その20

栄泉社 1886

◇禁転載◇

 ○大塩兵を集めて軍を出す事(4)

管理人註
  

  とく 却て説、此以前跡部山城守には、小泉淵次郎を討果しつれど、瀬田済之助を ば取迯しける故、西奉行へ右の始末を申送りて、面談致し度思へば、早々此 方役宅へ御越有やういたし度、と使を以て言遣れば、伊賀守には、是を聞れ                         はや て、承知の由を返答有て、急ぎ出宅いたされたるは、早夜も明ての事なりけ る、 其以前に、平八郎が伯父に同組与力大西与五郎といふ者あるを、城州呼寄た まひつゝ申渡されける様は、其方の甥の大塩平八郎事、容易ならざる企てあ                     かれ り、依て其方是よりして平八郎方へ罷り越、渠に利解を言聞せ、腹を切せ候         ことゆゑ べし、然ある時は事故なし、若亦渠不得心に及ばゞ差違へて国恩に答へよ、 と呉々申付られけるに、元より与五郎は一味ならねば、承伏なして其坐を立                つら しが、此者臆病未練にて、途中に倩/\考へ見るに、平八郎事、斯の如き大                              かしら 望思ひ立し上は、我等如きが意見など承知すべき者に非ず、然し頭の言付を              いろ/\ 用ひされば、我が身の難義と種々工夫なしけるが、俄に病気差起りしと、城                  ゆか         いへ        いづ 州の方へ断りを立て、平八郎が方へは行ずして、悴善之進と言るを伴ひ、何           ゆきがた 国ともなく迯去りて、行方知れずなりにける、      はかりごと 依て利解の謀事も空敷なりし其内に、天満よりして大塩が徒党暴発しけると 覚しく、大筒小筒の音頻りに響き、忽ち黒煙天を衝き、猛火盛んに燃立ける に、斯あらんと城州には、兼て心に思はれけれども、我手の与力同心共には、 皆々大塩が党類にもや、其志し計り知れ難く、既に昨夜の泊番の両人の者に も平八郎に一味なしたることなれば、我が手の者とて油断し難し、爰に聊か        すこし           をら 狐疑を起して、少も心を免されじ、然れど其儘に居ん事も臆したるに似て快                    うなづか からず、如何はせんと思案の内、屹度心に点頭れて出宅ありて、御城内なる 城代土井大炊頭殿が許へ至られ、対面の上述られけるは、 扨此度の一儀なり、容易ならざる次第にて、早天満より事起り、其騒動大方               せいしかた ならず、依ては早速出馬いたし制方の手配り、召捕差図等に及ふべき処、組                              も し の者共大塩へ荷担の程も計り難く、迂闊に召連れ出張いたし、万一途中にて 違変あらば、不束にも相当り、夫のみ当惑に思ひ候、依て何卒玉造組の与力 へ尊君より仰せ渡され、是を拝借仕りて出馬いたし度候なり、                              もつとも と委細に演説に及ばれけるにぞ、大炊頭殿にも驚かれ、如何にも道理なるこ となり、と御返答ありけるとなり、 扨も此とき玉造り御定番遠藤但馬守胤統朝臣には、此変事を聞給ひ、御城代         かた/゛\ の許へ相談の為め旁々相越居られしが、今城州の演説を聞れて、早速此儀承 知あり、御道理なる次第なり、罷帰りて申付べし、と直様帰宅の其上にて、 用人畑佐秋之助を呼出し、城州よりの所望に付、与力を加勢として遣すなり、 汝陣代与力を召連、跡部が宅へ罷越べし、然しながら手合の程も計難く、其          とにかく 覚悟にて罷出よ、と左右旨を申渡され、又組与力坂本鉉之助、本多為助、蒲 生熊次郎の三人を呼出され、跡部城州頼みに付、其方共を貸遣すなり、万事 差図を得て働くべし、若出張の上、手合の程も計り難し、左もあらば、汝達 平生の心懸を顕すべし、此儀我に於ても頼思ふなり、且陣代として畑佐秋之 助差遣す間、万端申合すべし、と仰渡されける処、 右の三人畏り、我々御見出しに相成上は、当組名折にあらざる様、花々しく 働き候、と御請なして、直様に同心三十人を召連て、畑佐秋之助諸共に跡部 山城守の役宅へ赴きける、 此時城州の与力浅岡助之進、近藤三右衛門の両人は、逆徒の方には大筒を用 ひ候由に候へば、各々方にも大砲を御用意有て然るべし、と申けるに、 坂本鉉之助答へていふやう、但馬守申され候には、御同心共は一同に三匁五 分の御鉄炮、拙者共には十匁の玉筒持参致す様申付られ、其支度にて相越し なり、然るに又候大筒を持参致す様相成ては、其筒の仕懸等に手間を取、時 刻延引致すべし、彼逆党の張本人共は、五六人と申事にて、跡は烏合の集り                                たつ 勢なれば、随分是にて打払はれん、と言へども、此議然るべからず、強て大 炮の方、御用ひある様、浅岡、近藤所望せしかば、然らばとて其儀に決し、 奉行所の馬を借受て、蒲生熊次郎是に打乗、急ぎ馳帰りて、大炮の用意を申 談じ置て、即時に引返したりける、 此時奉行所には、乾の方、堀ある所に梅の木の茂りたるを、枝共切捨、爰の 所に鉄炮に配り、逆徒の防ぎを設けたり、 さる 然からに、市中にては逆徒の勢ひ盛にして、所々乱妨に焼立る由、注進櫛の 歯を引が如く、今は少しも猶予ならずと、両町奉行打合の上、出馬なして取 鎮めんと、亦々城州には入城ありて、其旨御城代へ届けられける時に、玉造 御定番但馬守猶居合られ、出馬致さるゝとあるからは、猶又加勢を増べしと て、直様帰宅に及ばれて、組与力柴田勘兵衛、脇勝太郎、米倉倬次郎、石川 彦兵衛の四人を呼出され、山城守出馬あれば、其方共罷り越、城州の下知に 随つて身命を惜まず働らくべし、と仰せに、四人は畏まり、直に立出んとす る様子を、但馬守屹度見られ、何れも着込の用意や有、と問れて、勘兵衛承                               さね はり、逆徒の奴原大砲を用ひ申由聞及べば、其場へ罷出候に、何程実よき具 足にても、玉除にとては相成申さず、此儘にて罷越候はん、我々罷出る上は、 生て再び御目通り仕るべくとは思ひ候はず、と答へ申上ければ、但馬守是を                                   聞れ、此覚悟尤も殊勝、然も有べし、と仰られ、又余の者共へ押返して、如 何ぢや、と尋られけるに、仰にや及ぶべき、銘々共、一致に候なり、と申上                    さま て、追手の門より城州の役宅指て出城せる体、潔よくも又勇しく、実に天晴 の心得と云べし、  筆者曰く、此応対の次第考ふべし、全く文華の様に聞ゆれ共、然に非ず、  届書等の文を以ても見るべし、語気勇烈、実に以て壮士の名に耻ざると云  べし、


『天満水滸伝』
その23

幸田成友
『大塩平八郎』
その133

坂本鉉之助
「咬菜秘記」
その8


























































































































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北西


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